武士の家計簿

20100820009fl00009viewrsz150x.jpg 時代背景が幕末から明治に切り替わる「壬生義士伝」「桜田門外の変」と今回の「武士の家計簿」と大体同じでしょうか。当時の加賀藩は経済的に恵まれている方だと思いますが、それでも下級武士は出世すればするほど見栄というか世間体を気にして、交際費が膨らみ家計は苦労があったようです。
 時代映画の目玉であるチャンバラはなく、ひたすら猪山家の堅実であり、節制しながらも愛のある家族、親子の日常、7代経理部のサラリーマンである御算用方を堺正人が淡々と演じています。息子は石頭の親に反発しながらも、維新後の政府では高級官僚に出世し、いつの時代も教育こそが未来を創るという、明るいホームドラマでした。

クリスマス風景

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 12月に入ってから、家々にクリスマスイルミネーションが輝き初めました。いつもは都内も11月下旬には点いていたかと思いますが、今年は協定でもあったのでしょうか?
 この数年で、豆電球はすっかりLEDに変わり、また最近は青色LEDがきれいです。特許論争で一時話題になった日亜化学工業が作ったのでしょうか?子供が成人してからは私の家では飾ることがなく、直に触ったことはありませんが、電気コード程度の巾で、豆電球という言葉は死後になるかもしれません。
 どの家でも、せっかく飾っても、自分の家のイルミネーションは家の中から見ることが出来ないところが残念ですね。写真は三脚がないと上手に撮れません。

「お神楽初恋巡演記」吉岡義三・著

3ead1bcafbc1a229d144f78b6385cfe7.jpg 神楽は、各地の神社などで見ることができ、民俗学的な価値がある。著者は岩手県軽米町にかつてあった「松ノ脇神楽」の神楽師で現在80歳。昭和20(1945)年代に、県北の各集落を仲間と旅しながら巡演してきた。著書は、当時を回想した記録で昭和の郷愁をよみがえらせる。
 1回の巡演は20日前後に及ぶ。雪道を歩いて隣の村の入り口では、ほら貝を吹いて一行の到着を知らせたことや、宿が取れない時の心細さなどを記述する。巡演先でおじいさんが、お神酒を飲みすぎて山に転落し助けてやったが、ずぶぬれになったなどの笑い話や、あちこちで女性に、もてたエピソードもつづる。
 巡演で温かく迎えてくれる心の交流も読みどころだ。「松ノ脇神楽」は現在、隣接する集落と一緒になり「沢田神楽」として残る。(ツーワンライフ出版\1000)以上原文のまま
  大祖父」の跡を継ぐお父上の書いた記録を、一級建築士であるご長男の吉岡一男さんが、喜寿の祝に、本にまとめて出版されました。私はまだブログを読んだだけですが、昭和の初め頃の東北地方の風景が見えるようないい話です。  また、吉岡家のルーツともいえる一大サーガ(数世代にわたる叙述史)であります。

http://blog.goo.ne.jp/juriyo_1955

本はツーワンライフ出版 (紫波郡矢巾町高田第八地割141、電話019‐698‐2333)

 

さいたま市の江戸里神楽公演

007.jpg 県立大など県内外の大学生20人程もグループが、彩の国さいたま芸術劇場小ホール(さいたま市中央区)で12月3日に「江戸里神楽」の公演を主催しました。
 埼玉県立大非常勤講師の斉藤修平さん(民俗学)が「神楽の上演を増やしたい。若い人のアイデアを貸してほしい」と呼び掛け2008年から毎年冬に開催しています。
 会場代など資金集めに企業を回って協賛を求めるほか、チケットのデザインも手掛け、「多くの人に分かりやすいように」と、動きを解説する日本語、英語、中国語、韓国語の字幕をつくり、舞台横のスクリーンに投影する仕掛けを考案したそうです。確かに「せりふ」がない、ゆったりとした演舞?なので、解説があることは大変ありがたいです。
 今年の2月にはは、さいたま市別所の「岡田民五郎社中」の出演でした。今回は同年度とはなりましたが三芳町の「前田社中里神楽保存会」による、国譲りの神話として古事記に紹介されている「高天原神集」と「幽顕分界」の2演目が披露されました。
 男女どの大学の学生も、非常に礼儀正しく、挨拶、礼状も常に手書き、協賛企業紹介もしてくださり、毎年の就職難でも、こういう学生なら、どこの会社でも引く手あまたで売り手市場間違いなしと思えるほどの優秀な青年たちでした。http://kagura.daa.jp/

みけねこさん

112341.jpg 幼児、高齢者の虐待事件が毎日新聞に載ります。あまりに日常的に載るので感覚がマヒして驚くことも少なくなってしまいます。人間でさえこの扱いなのに、ペットの虐待は想像を絶視ます。
 私が子供の時から30年ほどは、常に家に猫がいました。捨て猫だったり、もらったり、工場にいつの間にか住み着いたり、えさは人間と同じものを食べ、時にコタツで練炭中毒になったり、数ヶ月外出したまま急にボロボロになってって帰ってきたり、一緒に寝たり、可もなく不可もなく、どこの家庭もそんなものだったのではないでしょうか?それがいつの間にか、飼って飽きれば捨てるようになり、餌をやると裁判を起こされ、変質者に切られ、放浪犬と同じ扱いになり、保健所で殺処分されるような猫が多くなってきたようです。
 石川県金沢市でTNR活動という、「猫の避妊去勢手術をして捨て猫を減らし、人間社会に受け入れられる地域猫を責任を持って飼いましょう」という運動をしている「みけねこさん」がいらっしゃいます。
 各地で幸せな猫、不幸な猫の写真展を開いて、社会運動を啓蒙したり、里親制度を作っているようです。
手術済みの猫の耳はVカットしてあることをはじめて知りました。私は「みけねこさん」を応援します。http://ameblo.jp/koneko0708/

蔵楽太鼓(くらだいこ)

P1060521.jpg P1060524.jpg            11月21日、石川県小松市で「日本太鼓シニアコンクール」が開催され「蔵楽太鼓」(くらだいこ)さんが出演なされ、特別賞を獲得されました。蔵楽太鼓は大蔵省税務大学校OB,OGの部活動だそうです。おめでとうございます。半纏は紫地に、紅葉の葉が散るなか、若草色の川が流れるいう物語性のあるデザインです。和光太鼓様のH/P http://www.wakodaiko.com/に「蔵楽太鼓」のメンバーの雄姿が掲載されています。
 また、この日の会場となった「うらら」では、動物愛護のキャンペーン写真展が行われています。この記事は明日書きます。

冬の夏みかん?

DSC00848.jpg                  毎年冬が近づくと、気になる柑橘系の木があります。
高さは2mくらい、木は細いけど枝葉は広がります。
みかん位の大きさの実がだんだん大きくなり、現在夏みかん程度です。
色は薄い黄色から徐々に濃くなりましたが、八朔、グレープフルーツや夏みかん程度、伊予疳、橙ほどオレンジのように濃くはありません。。
 直径15cm、切ってみたら、皮が厚く果肉は夏みかん、色も夏みかん、匂いも夏みかんです。
この木が植えてある家も、気にしだすと、結構あります。しかし実の色はいろいろです。
 私が小さいころは、目にすることはなかったのですが、千葉県に行ったらこの木が家々の庭にあるのを見て埼玉県には最近植えられてきたのかなと思います。
 ところで、春にお店で売られているのは甘夏みかんだそうです。

 

エクリプス / トワイライト・サーガ

336862view003.jpg エドワードの乗る車はVOLVOが提供しているらしく、毎回最新型の車がいい所で出てきます。VOLVOの社内報に、原作者ステファニー・メイヤーが出ていましたが、このラブロマンス小説を持ち込んだところ断られ続け、最後の出版社が買い上げ、小説が大ヒットしたらしいです。今まで本を書いたことのなかった主婦が、吸血鬼と人間の禁断の愛をインスピレーションして、あっという間に書き上げたらしいです。
 美しい若い男女が、次々と現れ、三角関係あり、もののけ姫あり、オカルトありで退屈しません。絶叫少女のダコタファニングがちょい役で出てきますが、安否は謎です。
 「禁断の愛に身を焦がす私」「三角関係に悩む私」「忠告を聞き入れない美しい男たち」これぞ昔ながらの恋愛映画の王道です。
 アメリカ北西部の日照の悪そうな、薄ら寒い地方が、映画全体を覆っているのが、今までのサンシャイン学園ものより新しい感覚です。続編が楽しみです。

川越不動蚤の市 喜多院不動通り

DSC00820.jpg 川越は歴史の古い町なので、神社仏閣がたくさんあります。中でも久保町あたりは,喜多院、成田不動尊があり、節分、桜祭り、菊祭り、初詣など多くの人が参拝に来ます。。また最近といっても30年前からは、毎月28日はお不動さんで蚤の市が開かれ関東一円からも趣味人が集まります。お不動さんと亀の因縁は解かりませんが、池にはたくさんの亀がいます。子供のときは大きな池だと持っていたのに、成人したら10分の一くらいに感じました。
 このたび喜多院不動通り商店街様で街路灯フラッグを作っていただきました。牡丹の紋がお不動さん,丸に二引きの紋が喜多院を表わしています。蚤の市にお出かけの際は是非ごらんになってください。

新穀感謝祭(新嘗祭)

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   本日23日勤労感謝の日は、当雀の森氷川神社では、新穀感謝祭が行われました。
 昨日よりの雨は降ったりやんだりでちょい寒です。晩秋ではありますが、曇り空は真冬のようです。
 その中、 宮司さんの衣裳は、枯葉(紅葉といいますか)よりも鮮やかに引き立ちます。

  日本には昔からいろいろなダブルスタンダードがあるのですが、基本的に公式の暦は中国風に立春から始めるということになってはいても、実はここに農業民族最大の祭典である新嘗祭をほぼ冬至に行うということで本当は1年を冬至から始めていたわけです。新嘗祭はつまり本当は新年の祭りであり、だからこそ、大規模な式典が行われ、天皇にとっても重要な儀式であったわけです。
  したがって、この日は他の祝日と違って、連休のように移動できないのだそうです。
 

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