まだ観ていない「ブラックスワン」よりも最新作のこの映画、軽快でノー天気なラブストーリーです。カナリ吹っ飛んだナタリーポートマンは、もっと大きい女性かなと思っていましたが、アシュトンカッチャーと並ぶと小さく見えます。じゃあスカーレットヨハンソンは何センチなのだ?レオンの美少女マチルダとは知りませんでしたが、「ブーリン家の姉妹」、ラックスシャンプーなど生まれながらのお姫様役、ヒロインが似合っていて、軽快な、キャメロンディアスの流れには張り合わないほうが良いのではなどと思ってしまいます。アシュトンカッチャーはヴェガス、バレンタインなど気のいい大らかな、ちょっと抜けたモロにアメリカ青年路線ではまり役でした。どうなるか心配させても最後のハッピーエンドに持って行く、アメリカンラブコメ、毎度ながらうまい物ですねー。
角田光代の原作が映画でリメイクされました。古典芸能にあるところの、「子別れ物」でしょうか。愛人との子供を失った永作博美は、不倫相手家族の幼児を誘拐し4年間育てる。警察によって捕まり、実親に戻された井上真央は成人になり、同じように不倫相手との子供を宿す。永作博美は全てを失い、空っぽだと思っているが、井上真央も同じ道を辿るのか?同じ道というのが蝉の一生=七日なのか?小池栄子とともに、自分の育った軌跡を辿るうちに、ついに小豆島で一日長生き出来た=八日目に実母、育ての母にあまりにも愛され、しかし愛に囚われた悲しみから、自分を開放できた物語かなと思いました。
原作と同じ進行をしていって、ラストになり、ちょっと「悪人」ぽい邂逅があって、しかし映画のほうが救いが感じられ暖かい脚本でした。
解説に池澤夏樹氏の文章が読めたのは幸せでした。
本日10日は県議会選挙投票日です。雀の森氷川神社では、三人の宮司さんを迎えての式典。地域の五穀豊穣、安寧とともに併せて、東日本大震災の鎮魂、復興祈願をお祈りいたしました。
町では、春祭り、桜祭りはt自粛、中止になり、さびしいことですが、ここで行う春祭りは、花見のことでなく、榛名神社のお祭りです。
今年は例年以上に桜が満開のようです。被災地の痛みを知る、喪に服すというなら、国民が家に閉じこもって、酒を飲んで騒ぐなというより、通常の花見を行って、会場で販売する、酒飲食を五割り増し、あるいは酒タバコ5割増税にして、それを見舞金として送ったほうが、よほど人のためになるのではないかと思います。そもそも、例年のように、飲んで馬鹿騒ぎする人がいるとも思えません。役人も上から目線で早々に自粛を押し付けないで、市民に任せても良かったのではないかと思います。
白寿とは、百の文字の一をとると白になることから、99歳をいうようになったとのことです。還暦は赤色を用いますが、白寿は白らしいです。
明示、大正、昭和、平成と4世代を元気に歩いてきたことでしょう。
関東大震災、戦争、東北大震災を体験なされて、大きな川の流れのように過ごされてきたと思います。日本全国では4万人以上いらっしゃるようです。
桜の花を毎年毎年見てきたわけですね。この手拭いは平塚市のお子さん?というかいくつになってもお子さんからのプレゼントです。絵の中に桜の花は百以上咲いています。お名前も「百代」さんとは、なんと縁起の良い、またすばらしい息子さんをおもちになられて、幸せなお母様です。いつまでも健康でお元気でいらっしゃることをお祈りいたします。
徳川家康公に心酔していたお父様のために御兄弟5人で記念に暖簾を作っていただきました。
家康の遺訓として「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、 こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。 勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。 及ばざるは過たるよりまされり」は有名。明治時代に元500石取りの幕臣、池田松之介が徳川光圀の遺訓と言われる『人のいましめ』を元に家康63歳の自筆花押文書との体裁にしたものを高橋泥舟らが日光東照宮など各地の東照宮に収めたものであることを尾張徳川家の徳川義宣が考証した。
いつの時代になっても古さを失わず、見習うべき教えだと思います。
ドモリ癖があるので、内向的になっていた、王になりたくなかった王、ジョージ6世が、治療師とともに、だんだんと克服して成長?して行く物語。国王は亡くなり、本来王になるべき兄は、アメリカ人と結婚して、イギリスを飛び出してしまうため、ヨーロッパ動乱直前の緊急時に、自分が国家のリーダーとして、帝国の人民にスピーチしなければならないプレッシャーはいかほどのことでしょう。そのプレッシャーに耐えて、更に先頭に立たなくてはならない,王としての義務。わが国の象徴も同じようにご苦労があったと思いました。
ニュースで、ヒットラーが演説しているのをみて、何を言っているのかは解からなくても、演説がうまいというところが皮肉です。当時の英国は地球の数分の一を支配していたんですね。今でもユーロ圏には属していないし、日本と同じく独立心の強い島国なんですね。映画に出ているイギリス人俳優たちの高貴な顔立ちが、貴族と平民の格差を良く表わしていたと思いました。
ジョニーデップが出る映画は、いつも不吉な予感がする。ツーリストのフランクも、アンジーといるのにちっとも、幸せそうな顔をしていない。映画中のヨーロッパ人は皆大きくて存在感があるのに、黒髪、小柄に見えるデップは、ハッタリ感ゼロで、地味でとても控えめだ。ユーロスターの中での出会いは、アンジーがどうしてフランクに惹かれたのか解かりません。金庫を開けるとき、数学者だから、確率論かなにかで、偶然に可能なのかなと思ったら、すごく難解な数字を押したので驚くと同時に、大どんでん返しにまたびっくりでした。
パリーリヨンーベニスとロードゴーイングかなと思ったら、やっと落ち着いた、美しいベニスで湿度の高そうなマッタリ感が、ただでさえ乾燥している震災後の自粛日本人には、また更に追いつけない羨望を誘う、ゴージャスな映画でした。