新潮文庫より文庫本長編5冊セット。オリジナルハードカバーは上下刊です。小野不由美というペンネームからして不吉なです。先週読んだ、誉田哲也の「妖の華」というデビュ-作っぽい小説が、吸血鬼物だったので、偶然にも続けて伝奇小説を読むことになりました。
屍鬼と人間の登場人物は150人にものぼり、夫々の生い立ち、性格、家族、屍鬼になるまでの過程など人物描写が細かく、一流作家らしく物語の進行にもそつがありません。
舞台は三方を深い樅の森林で囲まれた人口1300人の外場村(卒塔婆村)、墓地は土葬、祭は虫送りと呼ばれ、真夜中松明を持った鬼の面をかぶったユゲ衆と呼ばれる女人禁制の若衆が卒塔婆を背負って練り歩く。という横溝正史小説のようなおどろおどろしい設定です。
現代なのだが、住人はほとんど村内で生活が完結していて、新居に越してきた住人は昼間外出することなく、出歩くとしても、夜のみといのが只者でない予感がします。
映画トワイライトもそうだが、吸血鬼はやはり美男美女が定番なのだが、屍鬼では本家屍鬼以外はほとんど一般人でカリスマ性は薄い様だ。医者と坊主の2大主人公が変節してゆく様子が楽しく、小説中に更に小説を書いていく手法は新鮮でした。伝奇小説は入場料を払って入るお化け屋敷のようなもので、怖いもの見たさに奥へ奥へと進んで行く感覚が5冊セットで味わえるのは大変なお値打ち度でした。
羽田空港から飛行機で鳥取・米子鬼太郎空港へ、そこからバスとフェリーを乗り継いで約6時間半、島根県隠岐の島に豊かな自然に囲まれた素敵な町があります。
海士町(あまちょう)は島根県隠岐郡の町である。隠岐諸島の島前三島のひとつ・中ノ島に位置する。面積33.5平方キロ、世帯数1,100世帯、人口2,451人(2007年8月末)。
島のホームページで見た「島の幸福論24の提案」はブータン国王の提案する国民総幸福指数にも匹敵する斬新な発想です。
この島で生まれて、この島で育ち、あるいはこの島へ来て生活をし、最後旅立つ時に『ああ、海士町に住んでよかったな』という想いを持って自分の人生を終わる
海士町のキャッチコピー『ないものはない』という言葉は、
①無くてもよい
②大事なことはすべてここにある
という二重の意味をもちます。海士町は都会のように便利ではないし、モノも豊富にあるわけではありません。しかし、自然や郷土の恵みは潤沢で、暮らすために必要なものは充分あり、今あるものの良さを上手に活かしています。素直に『ないものはない』と言えてしまう、それこそが海士町の"幸せ"なのかもしれません。
この手拭は海士町の保々見という地域の四季12ヶ月を、そこに暮らす人たちに消しゴム版画で募集したものを基にデザインされた、誰もが郷愁を覚える、しかしそこに住む人以外誰も手にする事が出来ない、幻のお宝手拭です。
桴と書いて「ばち」と読みます。太鼓のばち、ドラムのスティックです。
日本人の心の楽器である和太鼓の響きは、すべての人に共感を与えます。子供から大人まで楽しむ事ができ、スポーツに通じる達成感や爽快感も与えてくれるため創作太鼓は音楽の一分野としての地位を確立しています。 様々な音色の和太鼓を組み合わせ、複数の奏者が演奏する組太鼓は、今や和太鼓音楽の基本形式といえます。太鼓の種類や数などの音楽的要素に、太鼓の配置や奏者の振り、動きなどの視覚的要素も加わる総合芸術です。
3月17日、川越市民会館で第21回彩の国埼玉「桴の祭典」が行われました。
写真は皆野町の郷芸銀美露(ぎんびろばあ)というグループで、太鼓だけでなく、笛、民謡、踊りを組み合わせた、子供の時の村祭を思い出す、ハレの郷愁をさそう懐かしい調べでした。
日本海の島根半島沖合約60Kmに浮かぶ隠岐諸島の中の一つ中ノ島を「海士町」といい1島1町の小さな島。(面積33.46k㎡、周囲89.1㎞)
対馬暖流の影響を受けた豊かな海と、名水百選(天川の水)に選ばれた豊富な湧水に恵まれ、自給自足のできる半農半漁の島。
地域の実情に詳しく、集落対策の推進に関してノウハウ・知見を有した人材が、地方自治体からの委嘱を受け、市町村職員と連携し、 集落への「目配り」として集落の巡回、状況把握等を実施するために、総務省は集落支援員という制度を設置しています。
「少子高齢化などの課題を多く抱えながらも、積極的に地域活性化に取り組んでいる離島、海士町。 この島を将来に渡って持続していくためには、町を構成する14集落それぞれについて的確な支援を行っていく人材が欠かせません。
そこで、平成22年度に実施した「集落診断」(実態把握調査)の結果をもとに、23年度24年度には集落支援員を配置し活動しました。
海士町の各地区を何とかしたいという志のある方、やる気と元気にあふれている方の応募をお待ちしております。」とのことです。https://www.facebook.com/ama14chiku
集落支援員という言葉を知り、日本は広い日本人は強い。日本の若者はまだまだ元気だと安心しました。海士町は特に若い人が移住しやすいように町を挙げて積極的に推進しているとのことで、「Iターン恵みのの島」として本日の読売新聞に掲載されていました。
クラウド(雲)という言葉が今風です。アトラスはマップ(地図)を束ねて本にしたものだそうです。というかピアノの曲名だそうです。
19世紀の南太平洋を船で旅するサンフランシスコ出身の公証人。
第二次大戦前のベルギーで天才作曲家に師事する若き音楽家。
1970年代のアメリカ西海岸で原発の不正を追及する女性ジャーナリスト。
現代ロンドンでインチキ出版社を営む老編集者。
近未来の韓国でウエイトレスとして生きるレプリカント、ソンミ451。
遠い未来のハワイで人類絶滅の危機を迎える文明の守り手。
身体のどこかに不思議な彗星のあざを持つ主人公たちが、支配と暴力と抑圧に抗して叫びをあげる。
オムニバス(グランドホテル)ものといえば一定の日時に同時多発的に物語が進行するものと思っていたが、この映画は今まで見たことのない進行でした。基の本は是非読みたいと思いました。
同じ登場人物が信じられないほどのメイクアップで色々な時代に登場するのでエンドタイトルで初めて同じ俳優だったのかと知り、それもお楽しみです。輪廻転生、因果応報、諸行無常など四文字熟語を思った作品でした。
彼は英雄か、それとも終身刑の犯罪者か?というサブタイトルの乗り物パニック冒険物かと思っていました。フロリダ州オーランド発アトランタ行きのジェッ旅客機が突然の低気圧とエンジンの故障で、急降下のまま墜落しそうになるが、ベテラン機長ウイトカーの天才的な操縦と機転で背面飛行で切り抜け、パブティスト協会の尖塔を破壊しながらも草原に不時着させる。ウイトカーはいわゆるアル中で、家族にも愛想をつかれ、酒のみか覚せい剤も日常的に吸う危ない機長であった。
酩酊して倒れるまで酒を飲み、はっきりするために覚せい剤をすうというマッチポンプな日常、仕事も人生も失うことが判っているのに自分ではどちらもやめることが出来ないという、破滅型な人生、しかし大なり小なりジレンマを抱える私たちと同じような普通の人だ。
教会の尖塔を壊すということが人生の何かの比喩のように感じられ、嘘で固めて逃げt遂せるのに、何かに導かれ最後に自分から罪を認めるという、破滅した後に平安を得ることが出来るということが、先月見たライフオブパイにも似たスピリチュアルなストーリーでした。
1953年、CIAがMI6と共謀してクーデターを起こし、モサデク政権は崩壊。事実上亡命状態にあったパーレビ国王が復権し、以後米国の強力なバックアップの下、上からの改革で経済成長を目指す開発独裁を進めていく。次第にイスラム原理主義が復活してきて,ついに1979年1月、パーレビはイランの地から逃げ去り、米国への入国を希望する。 そして、亡命していた宗教指導者ホメイニ師が入れ替わるように2月に15年ぶりに帰国しイスラム革命が成立、11月4日、米国大使館にパーレビの引き渡しを要求する国民が大挙押し寄せ、52人の外交官や海兵隊員などを人質としたのであった。
そのなか運良くカナダ大使館に逃げこんだ6人のアメリカ人は、CIAのアルゴ作戦のもと、映画のスタッフに扮して空路脱出し,逃げ切る。ストーリー自体は大したことはないが、追うイランの諜報部隊、シュレッダーで裁断後の人海戦術での復元、空港での追撃、ストーリーのハラハラ感がたまらない。ベンアフレックのハンサム顔がヒゲだらけで隠れて甘さが出なくてよかった。
春の訪れを告げる、大きな行事のひとつが3月3日の「桃の節句」。
その起源は平安時代までさかのぼります。
もともと昔の日本にあった5つの節句のひとつ
「上巳(じょうし)の節句」が、
現在の「ひな祭り」、いわゆる桃の節句になりました。
平安時代、この「上巳の節句」の日には薬草を摘み、
その薬草で体のけがれを祓い、健康・厄除けを願ったといいます。
また「上巳の祓(はら)い」といって、3月3日に陰陽師を呼び、
お祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を、
自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に
移らせて川に流しました。
この厄払いの様子は、今でも下鴨神社で行われる、
「流しびな」の行事に再現されています。
この風呂敷のサンプル品は関東と違い京風で「お内裏さま」が左右入れ替わっています。
イギリスの作家リー・チャイルド原作のハードボイルド小説「ジャック・リーチャー・シリーズ」を映画化したアクション大作。久々に大藪春彦の小説を読んだような爽快な映画でした。トムクルーズがグリーンベレー上りの武術、射撃、車の操縦、たぶん飛行機の操縦にも優れ、家庭、家、車、クレカ、携帯電話を所有しない「流れ者」といのが、現実離れした昭和初期のヒーローな感じがする。
小説が基なので、生活感はなく、服は始めから最後まで同じボタンTシャツ、ネルシャツ、皮ジャン、ジーンズの着たきり雀である。荷物は持たない主義なので、モーテルで自分で洗濯する。
車ももちろん自己所有でなく、借りたり、脅し取ったもので、すべてボコボコになるまで使い倒す。敵味方ともほとんど70年代の大排気量の脳天気なスポーツカーで、日本国内のほうが在庫が多そうな車種である、空力無視の、ボトルライン型、前低後高のホットロッド型、ウイルは小さめでラディアルでない扁平タイヤを履いている。ポスターにもあるシボレーシェベルSSは7400ccだそうで、環境だ、エコだと騒ぐ直前の小型クラスが5m超時代最後のベストセラー車である。
クライマックス場面が採石場というのも日活風で、M.I.ほど金もかからず、年齢に縛られることもなく、クリントイーストウッドのようにタフガイ路線で、これからシリーズ化が予想される娯楽物です。