大和田囃子は、新座市の無形文化財に指定され祭り囃子で、江戸時代の末期頃に発祥したと伝えられ、大和田氷川神社の春の道響祭(4月19日)と夏の大祭(7月末の金曜、土曜日)に囃されます。
囃子の曲目には、屋台、昇殿、鎌倉、四丁目、にんばなどがあり、楽器の編成はオウカン(大太鼓)・ツケ(締太鼓)拍子木・鉦・笛からなり、囃子にはオカメ・狐・獅子・ひょっとこなどの面をつけた踊りがつけられます。
現在は、大和田囃子保存会により継承されています。
大和田囃子保存会は昭和49年(1974年)、当時消滅しかかっていた囃子連を再興すべく、当時30才代の人達が中心となって結成され現在に至ります。
昭和55年(1980年)新座市教育委員会より市の無形文化財に指定され、昭和57年(1982年)には埼玉県文化ともしび賞を受賞しました。
田島御嶽神社は人皇第九十二代伏見天皇の御代永仁三年四月(鎌倉時代)御創建されたと伝えられております。
古社にして、木曽御嶽山王滝開祖普寛行者が天明年代(江戸時代)本神社に於いて根本修行したと伝えられております。
普寛行者が木曽御嶽山王滝口開山という偉業を成し遂げた後の全国巡教の折、本神社で参拝修行をなされ、木曽御嶽神社の御分社として奉祭し、その時開山御禮に神納された掛軸(市指定文化財)を現在社宝として御守りしております。
本神社の崇敬は高く、信仰は広く、尊仰の中心となっております。(境内掲示より)
普寛は、享保一六年(1731)秩父郡大滝村の生れで、修験者を志し、三峰山で天台・真言両宗の奥義を極めた後、江戸に出て府下修験者の長となった人です。寛政四年(1792)江戸の信者を連れて木曽の御嶽山に王滝口から潔斎方式を無視して強行登山し、御嶽開山の端緒を作り、御嶽山を道者の山から行者の山へと変えました。しかし、郷里へ向かう途中、現在の本庄市で病歿しました。
この画像は、たて七三センチ、幅二四センチで、椅子にすわる普寛を描き、背景に木立のある遠山を配しており、時世の歌と「行者木喰普寛」の名が記されています。神社では、この画像を社宝としており、普寛が開山の御礼に神納されたものとしています。また、画像そのものも、絵師が描いたものに普寛が筆を加えたものと伝えられています。
この画像は、埼玉ゆかりの宗教者普寛の姿を伝える貴重な資料といえます。なお、上部には、祭文の断簡がついており、これは付指定になっています。(御嶽神社・さいたま市教育委員会掲示より)
中学生の頃だったかアポロ宇宙船が月面着陸した時、丸広の紀伊国屋書店で「LIFE」を買いました。写真週刊誌の元祖でしたがテレビの普及で年一回になり、月1回になり、2000年に廃刊になったそうです。同じ頃リーダーズダイジェストもよく読んでいましたが、日本版も消えてしまいました。
ウォルターはLIFE社に勤めながら、華々しい部署とは無縁の殺風景な部屋で、写真の管理に身をささげてきた男。見た目も地味で、どこの会社にも1人は必ずいるような目立たない男だ。独身で母の世話をしており、とにかく真面目だけがとりえのような人物。この設定がしっかりしているお陰で、ウォルターを自然と応援する気持ちが芽生える。写真家ショーンを追う旅路での冒険の数々は、空想好きのウォルターのフィルターを通し、奇想天外な出来事も楽しく見ることができる。大都会から辺境へ目まぐるしく舞台は変わるが、どんな場所にいても一つの目的を持って行動する者は強いもので、凡庸な男ウォルターがだんだんヒーローじみて見えてくる。ウォルターの視点でコロコロと変化していくネガの行方が、映画の面白さのカギとなっている。空想、妄想とどこから現実なのか最後まで判らないこういう映画が好きだ。
街の中の建物、道路標識、看板などにテロップをはめ込む方法はなんと言う仕掛けか知らないが、「アルフィー」にもあった、そのときの心情を表すのに印象深く、邦画でも誰かやったらよいのにと思う。
&more(アンドモア) 本川越店は、カジュアルな、しかし本格派フレンチレストランです。
野菜・果物などの青果の業務用配送・卸しを行っている、川口市の株式会社ベストウエーブという青果商、いわゆる『八百屋さん』が経営をはじめたお店ですから超超超超絶技巧間違いなしの料理屋です。
野菜のプロであり、目利きの商売人が選ぶ自慢の野菜や果物を、それぞれの素材の旬にあわせて、オリジナルメニューとして、 素材にあった調理法、素材の旨みを存分に味わえるように工夫を凝らしたメニューが満載の『本格派ビストロ』です。 野菜を使った料理が世界中にこんなにもあったのかと驚きます。ワインもお徳用から高級まで幅広く用意されています。
西武新宿線本川越駅前ロータリーの向かいです。川越市新富町1-2-3 電話049-299-7855 月曜定休
東京大空襲の壮絶な悲劇を、新しい視点から描く、命を救うために、命をかける消防士の物語――。
太平洋戦争末期、「学徒出陣」で若い学生が戦場に駆り出されたのはよく知られているが、本土への空襲が激化してくると、帝都防災のために、「学徒消防隊員」(軍隊へ兵役猶予されていた理科系及び医系の学生)や「年少消防官」(18歳未満の少年)として駆り出され消防署に勤務させられた若者たちがいたことは、あまり知られていない。
昭和20年3月10日未明の東京大空襲。その日、訓練する間もなく、素手同然で大空襲火災の真っ只中に駆り出された多くの若者が犠牲になった。命がけで消防に身を投じた彼らの知られざる消火活動を通して、戦争の悲惨さ、愚かさを描くとともに、壮絶な悲劇を乗り越え、次世代へとつなぐ勇気と希望も与える、新しい切り口の終戦特集ドラマ。