日本茶のトップブランド 狭山茶。その茶どころ狭山の春の風物詩ともいえる新茶まつりは、毎年茶摘みの始まる大型連休頃(4月29日、昭和の日)、狭山市役所で開催されます。茶摘み体験や手揉み茶の実演のほか、新茶の販売、花や茶苗木の無料配布、山野草の展示、そしてステージアトラクションとたくさんの催し物が行われます。
新茶まつりでは茶娘の着物や茶はんてんを着た狭山グリーンティースタッフによる新茶の無料サービスもあります。また、市庁舎のロビーでは、生け花や琴の合奏とともに茶席が設けられ、お茶と茶菓子が振舞われます。狭山新茶と花いっぱいまつりは、その年初めての新茶の味と香りを存分に楽しめる狭山ならではイベントです。
写真は私の従兄弟で、今年から茶業協会の会長で、冒頭の挨拶をしているところです。柄の青海波はお茶畑がはるかに続く丘陵を現しています。
日本には100歳以上の長寿な人が54.000人いらっしゃるという。そのうち女性が88%。今回の風呂敷の佐藤トミヱ様も、最近転んで足を痛めましたが、特にどこも悪いところはなく、お元気にすごしているといいます。トミヱ様の子供たち8人も全員元気なので、このような遺伝子を持った人たちは幸せですね。お母様のお礼の言葉を紙片にして記念品の風呂敷の箱に入れました。
お礼
大正13年11月5日生まれの私は、今年100歳になりました。今日は百寿のお祝いをして頂きあり画等ございます。車椅子の生活ですが、おかげさまで元気です。今は介護施設「四季の里」で読書をしたり、習字を書いたりして過ごしています。
百歳の記念に風呂敷を作りました。風呂敷には、去年、習字の時間に書いた「心」という字を小さくして入れました。私は「心」という字が好きです。人と人がお互いに生きていくうえで、なによりも相手を思いやる「心」が大事だと思うからです。どうぞ使ってください。
末筆ですが、皆様のご健康、ご多幸、長寿を祈って、お礼の言葉といたします。平成26年9月14日 佐藤トミヱ
私の町、新宿街(あらじゅくまち)の3丁目に、30年来のとんかつやがあります。食べ物ブログにもよく登場しますが、川越以外に在住の人たちにもよく知られていて、当店に注文に来られたお客様に「釜かつ」への行き方を尋ねられること数回ありました。
おでん、おシンコウ、サラダ、串揚げなどのサービス品に続いて、柔らかい肉に、あっさりとした薄い衣、昔のご飯を炊く厚釜でゆっくり揚げたとんかつは2種類のオリジナルソースで食べるとご飯2杯いけるほど絶対お勧めです。デートスポットという訳には行きませんが、とんかつマニアには行って見る価値はおおきいです。
この暖簾は調理場ののれんです。
※とんかつ釜かつ・・・川越市新宿町3−12−15 / 0492−42−0760
定休日毎週木曜日。昼12時〜13時。夜17時〜20時頃(臨時休業もありますので事前にご予約を)。
スティーヴ・マックィーンといえば、あの白人のアクションスターを思い浮かぶが、現代の同名の監督は、「シェイム」で有名なアフリカ系イギリス人である。
1841年、南北戦争、リンカーンの奴隷制廃止以前の東部に「自由黒人」といわれる奴隷ではないアフリカ系黒人がいたことをはじめて知りました。悪い白人奴隷ブローカーに騙され、ディープ南部の綿花農場に売り飛ばされ、理不尽な絶望の淵から12年目にして、カナダ人(ブラッドピット)の小さな助けで元の生活に戻れた。
それは、自分でもそれほど期待していなくて、もし可能なら裁判所に伝えて欲しいと、善意にすがる思いと、カナダ人が本当に実行してくれた、当時としては奇跡的な偶然が結びついて、実現したもので、同じ農場の他の奴隷たちには何等奇跡は起きなかった。1865年の奴隷解放政策まで待つしかなかったのである。それだって、「大統領執事の涙」の時になっても、黒人の置かれた立場が急に改善されたわけではないのだけれど。
見終わっても、心の晴れない映画だった。
この写真は農場主に脅されているところ。