一松造園(半纏)

 一松造園.jpg            誇り高き一本の松のように


一松造園は埼玉県新座市にある外構・造園業者です。
スタートは2011年4月。代表である樋口夏樹社長の「お金のために無理な工期のの仕事をいい加減に行ったり、お客様のためにならない提案を行うのは嫌だ。職人として、心から納得のいく仕事が出来る集団を作りたい!」という想いが創業のきっかけです。
一松造園という屋号も、誇り高き庭師の象徴である「一本の松」を由来としています。
 造園業である植栽のみならず、コンクリ打ちや、タイル張り、敷石、石垣さらにモルタル造形も得意だそうです。
 半纏は植木屋、造園業という仕事によく似合うと思います。背紋の丸は漢数字の一を表しています。

 一松造園 埼玉県新座市馬場3−3−48    http://good.gaikoumitsumori.biz/ichimatsu/


 

川口マラソン晴れ晴れ(半纏)

12341210_1623009547960446_2992862526738677248_n.jpg12307597_1622846521310082_7763221490203965863_o.jpg     川口市のNPO法人ヒールアップハウスは、平成14年9月に「川口市精神障がい者家族の会」の願いから川口市に設立されました。 障害を抱えながらも、より豊かな人間関係をつくり、楽しく自分らしい生活をみつけ、社会参加することを目的に活動しています。

パンとクッキーのショップ「晴れ晴れ」 HAREBAREは障がいのある方の働く場所として、自分らしく働き、生活できる場所として活動しています。店のウリはというと以下の通りです。
Komugi(パンとクッキー) 埼玉県産小麦粉と国産小麦粉をブレンドしたオリジナル粉と白神こだま酵母の日本の食材を活かしたパン作り。
Kome(パンとクッキー)小麦粉と米分と豆乳のパン、クッキーは米のおいしさを活かした自然の甘みとほろほろしたやさしい食感が特長。埼玉県産狭山茶の風味を最大限活かした「茶葉丸、」繊細な甘さの「和三盆」。
Kami(かごと皿と紙袋)環境にやさしい再生紙から作られた紙紐のかごと皿。太さや長さの違う紙紐が1本1本重なり、つながることで無二のかごや皿になります。
直営店 川口市北園町12-20-103 東浦和駅徒歩15分 048-269-8288 
取扱店と出店  県内に取扱店多数、また一年中埼玉、東京のイベントに出店しています。www.harebare.org/

12月6日、第34回川口マラソンが行われ、晴れ晴れのスタッフ5人が3km!の部に出場、完走されました。写真は人力車の車夫でなく、出場記念に染めた半纏を着て、全力で?走っているところです。快晴に恵まれたマラソンデビュー戦でした。がんばれ!若者たち!

川越 天神囃子連(半纏)

 tennjinn1.jpg     太田道信、太田道灌親子により築かれた川越城、別名初雁城に隣接する三芳野神社は天神様と呼ばれ、童謡「とおりゃんせ」発祥の場です。

 ここ三芳野神社を練習拠点とする天神囃子の流派は芝金杉流。同市石田囃子連に所属していた郭町(くるわまち)の戸田鋸店様が中心となり平成22年に発足しました。
囃子連名は地元、三芳野神社の天神様に由来する。川越まつりでは掛け屋台で演奏。 川越市の山車の上でも演奏しています。子供の会員も多くて、練習に熱が入ります。
 神社の傍を通っているとき、ふと神楽囃子の音が聞こえると日本の原風景を覚えませんか?
 

 

 天神囃子の練習風景は川越styleのブログに詳しく載っていて、写真、説明ともに秀逸です。是非ご覧ください。

ameblo.jp/korokoro0105/entry-11638408379.html

狭山里芋増産倶楽部(半纏)

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毎日新聞 11月13日<Work the Earth>に取り上げられました。

 粘り気のあるクリーミーな新食感がくせになる--。埼玉県狭山市内で販売されている「さといもコロッケ」が地元で好評を博している。仕掛けたのは、若手の里芋農家たちだ。【山寺香】

 埼玉県は里芋の産出額で全国1位を誇る。中でも狭山市の里芋は高品質で、高級品として料亭などで使われるほど。一方で地元のスーパーに並ぶ機会は少なく、地域の特産品と知る人は多くなかったという。

 「地元の人に愛される特産品にしたい」と、市内の若手里芋農家7人が2010年、「さやま里芋増産倶楽部」(現代表は白倉崇弘さん)を設立。コロッケのレシピを食品加工会社と共同開発し、食品工場で加工して市内の精肉店などに卸すことで、地域の人に食べてもらえるようにした。

 子芋や孫芋に比べて硬く、「えぐみ」があると思われていたことから人気がなかった親芋をコロッケの原料にしたのが特徴。高品質の狭山の親芋は実はえぐみがなく、硬さがコロッケにはちょうどいい。里芋の収穫量の4分の1以上を占めながら出荷されていなかった親芋を有効利用し、コロッケの価格を低価格に抑えることにも成功。今では地域の新たなB級グルメとして定着した。同倶楽部の初代代表、奥富康雄さん(43)は「地域で喜ばれることで、生産者も誇りを持つようになった」と語る。

 同倶楽部は12年から、約40年前まで地元で盛んに栽培されながら、今ではほとんど作られていない「入間ごぼう」の復活を目指す取り組みも始めた。里芋と同じ畑で交互に生産し、7~10月の早い時期に収穫する。現在JAいるま野サラダごぼう部会の農家4軒が生産し、あくが少なく軟らかい特徴を生かして「ごぼうのピクルス」も商品化した。部会長でもある奥富さんは「里芋と並ぶブランドに育てたい」と意気込む。
 
狭山はお茶だけじゃないです。

毛呂山町のやぶさめ(半纏)

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 平成27年11月3日(祝・火曜日)、出雲伊波比神社で、秋の流鏑馬祭りが行われました。快晴の1日で、朝早くから馬場の周りには大勢の観客が集まり、午前9時ごろからの朝的、午後3時ごろからの夕的ともに大盛況でした。
 源氏・平氏・藤原氏を表したそれぞれの装束を見にまとった乗り子はいずれも町内の中学3年生男子が勤め、見事な馬上芸に会場中から拍手や歓声が沸き起こりました。 
 出雲伊波比神社の流鏑馬は、流派による武芸ではなく、地域の祭りとして950年以上前から受け継がれています。流鏑馬は春と秋の二回行われますが、春の騎乗は小学生入学前の男子だそうです。秋の流鏑馬は3つの祭馬区から1頭づつ馬が出され、リーダーである一の馬、続いて二の馬、三の馬と順位が決められていて、一の馬は白で源氏を、二の馬は紫で藤原氏を、三の馬は赤で平氏をあらわしているといわれています。射手は乗り子と呼ばれ11月1日から的宿といわれる宿舎で絣の着物で精進潔斎を続け、当日は袴姿に、花笠、大きな担ぎ物を背負い、それは凛々しくも華美な姿で美少年という言葉がぴったりです。
 写真は長瀬一区長鶴会、長鶴連、岩井髪結会(馬のたてがみを結う)の役員の方々です。

川越祭り 六軒町(半纏、浴衣、手拭)

rokkenn-machi.jpg             今や川越の玄関となっている東武東上線川越駅は、1914年の開通時には無く、翌年の1915年4月1日に川越西町駅として開業しています。私の親の代では西町駅といえば川越駅のことでした
旧市街にある昔の玄関口である川越市駅は、東上鉄道開通時に川越町駅として開業し、1922年12月1日の市制施行とともに現駅名に改名したようです。この駅周辺を代表する(六軒町)に昔から住んでいる人たちには通称「六軒町」駅と呼ばれていたようです。
  六軒町という名の町は日本全国に多数あるようですが、川越市六軒町は町名の由来が調べても判りませんでした。ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。
 さて、川越祭りの主役といば山車、旧市街では文化財級の山車をそれぞれの町会が所有しています。

公式サイトによりますと、六軒町の山車は二重鉾、三つ車、廻り舞台、唐破風付きの囃子台。旧十ヶ町以外で最初に作られた山車。明治21年(1888) 大工棟梁の印藤吉五郎作。彫刻は明治34年山田弥三郎の作。昭和36年廻り舞台に改造されたが、三つ車のまま廻り舞台にした唯一の山車。

人形は明治21年(1888)仲秀英作。面は能楽の一つ、式三番の黒式尉(こくしきじょう)と呼ばれる三番叟(さんばんそう)。

囃子は芝金杉流今福囃子連中で、埼玉県無形民俗文化財に指定されていて、六軒町の半纏、浴衣、手拭には三番叟にちなんだ松皮菱がデザインされています。では、その由来は?

吉祥寺秋祭り(半纏、手拭)

 

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武蔵野市吉祥寺といえば、「住みたい街ランキング」でたびたび第一位になるほど、刺激があり活気がある、また歴史ある住宅街として日本中に知れ渡った街です。「学生の街」「サブカルの街」として何時行っても面白いことがありそうな吉祥寺、そこの秋祭りはとても大規模です。
 2015年9月12,13日は「第43回」を迎える「吉祥寺秋祭り」は武蔵野八幡宮の宮神輿が各商店街を渡御し、各町会の神輿が街を練り歩きます。子ども神輿も取り巻く親を巻き込み大騒ぎです。
 当店では平成になってから平和通り商店会、大正祭礼の衣裳を担当させていただいています。

 

宮出しは神馬を先頭にして宮神輿が続き、木遣り、手古舞、武蔵野市の無形文化財・むさしのばやしが渡御に花を添えます。
まち中での神輿同士がすれ違う様や担ぎ手の掛け声も楽しみのひとつです。

神輿連合渡御では全ての神輿が駅前平和通りに集合し祭りのフィナーレを飾ります。

 

砧囃子(半纏)

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砧(きぬた)という言葉は、世田谷区の見解を見ると、「古く7、8世紀のころ、朝廷に納める布を衣板(きぬいた)でたたいて柔らかくし、つやを出すために使った道具から生まれたといわれています。女の人の夜なべ仕事として砧の音が響いたことや、その布を染め、多摩川の清流にさらして洗ったことなどは詩情にもうたわれてきました。」との事です。同じく多摩川沿いにある調布とか布田、染地などと通じるものがあります。砧といえばゴジラ、ウルトラマン発祥の地円谷プロダクション、東宝撮影所がありますね。

 砧三峯神社の祭礼は10月第1週日曜日に日曜日に行われます。たくさんの氏子連中に担がれる神輿は堂々たるもので、年に1日限りの祭礼は大いに盛りあがります。
 砧囃子連は、この日屋台での演奏が披露されました。毎年元旦にも拝殿で演奏されます。

福生神明社の夏祭(半纏、山車の腰巻)

 福生市恒例の「夏祭り」が7月25日(土)・26日(日)に市内全域で一斉に行われました。
48基の神輿と15基の山車が各町会・自治会ごとに威勢の良い掛け声とともに練り歩き、市内各所で賑やかな歓声が上がりました。
中でも一番の盛り上がったのは神輿や山車の競り合いです。各会場には、神輿や山車が続々と集まり、埋め尽くされた見物客が見守る中、勇壮な姿を披露しました。 
  神明社前には入魂式のため福生地区の神輿と山車多数が続々と集結し、気温35度以上の中、山車の上でお囃子が競い、おか目,ひょっとこ、狐などが踊りまくります。多摩地域では整備された自然が多く残り、子供が各流派のお囃子を練習して揃いの半纏で日本の祭り文化を継承していく環境がうらやましいです。

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日高市四本木夏祭の半纏

  8月8日に行われた祭りの集合写真をいただきましたのでアップさせて頂きます。全員がそろう写真は貴重です。
 四本木 UP.jpg四本木 back.jpg 川越市の隣の日高市はここ十数年来、町興し、ふるさと創りの祭りが多くの地区でおこなわれるようになりました。埼玉県有数の観光地 巾着田と、高麗神社で有名な日高市は2005年以降、人口が急増しています。

 四本木地区はJR八高線の高麗川駅西口にあり、平成21年に綺麗に区画整理され大きなショッピングセンターや公園もあり、高額な建造費がかかる大きな山車も新造され町内会の祭りとしては大規模な催しです。
 背紋の四本木マークは、歌舞伎の隈取の顔のようにも見えるし、楕円にちゃんと四本木と収まっているし、すばらしいデザインですね。地元のデザイナーさんの図案です。どこから見てもよく目立っています。生地は綿スラブといって太い糸を紬のように織った、厚いけれど風通りがよさそうな素材です。   http:// stramd.com/
半纏の身頃デザインは一緒ですが、衿は実行委員の夏祭り世話人会と四本木囃子連中があり、それぞれ個人名が片側に入ります。八月8日、九日と二日に渡るお祭りではありますが、年を追うごとに暑くなる気候に対して朝と夕方に行事を行うというのは、これから広まりそうな予感です。

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