花かつお 轟屋(半纏・前掛け)

todoroki1.jpgtodoroki2.jpg    川越市内、中央通り蓮馨寺の隣りに、昆布、煮干し、削り節などの乾物が並ぶお店「かつお節 轟屋」があります。川越でも数少ない削り節、海産物、海苔の専門店です。直接ここで買い物をしたことがない人でも、川越で名の通った蕎麦屋、ラーメン屋、料理屋で食事をすれば、必ずここの乾物から採れたダシを使用した料理を食べていると言っても過言ではないでしょう。http://todorokiya.shop-pro.jp/

 江戸初期、川越東照宮の大火消失に伴い、再建のための資材を運ぶのに舟運が発達し、後に川越から主に年貢米、江戸からは日用品、乾物を運んできたと伝えられています。日持ちのしない魚介類は乾燥させ、内陸部の人々へ提供してきました。特に鰹節の登場は、川越の人々にとって衝撃的でした。それまで出汁をとる習慣がなかった味噌汁、うなぎ、そばなど料理全般、今までの食文化を激変させるものでした。
 今日では、安心、安全な天然調味料として、自家製の花かつお、鳥削り節、また全国から届く海産物の乾物を、店頭だけでなく、ネット通販でも買うことができます。
 半纏は、背紋にトレードマークの丸と、腰柄に、ペルシャ、ササン朝から伝わる海をイメージする青海波の模様を配置しています。

川越の箸屋「キッチン遊膳」(暖簾)

箸 寺小屋.jpg           飛鳥時代に中国・朝鮮半島より「神の器」として伝来、ピンセット型の竹製の折箸がそのルーツのため、箸という字が竹冠なのは、古来の箸が竹製であったためという説も。その後ピンセット型から今と同じ二本箸に、この当時、箸を使えるのは天皇だけと言われていました。奈良時代には貴族の間でも箸が使われるように、その後庶民の器へと発展。幕藩体制の江戸時代になると、塗り箸が発展普及します。各藩が藩の地場産業として塗り物を競って、漆器の産地がこの時期に確立し、それと同時に塗り箸も多様化します。江戸時代末期には裕福な町人や商人が自分のステータスとして塗り箸を使います。昭和30年代高度成長期には科学塗料が発達しカラフルな箸が市場を席巻しますが、現在は木地に近いシンプルで素材感のある箸(半塗、木地箸)がトレンドだそうです。また、箸の素材は素材は割り箸も含めても含めて中国、東南アジア、カナダカナダの木材が使われています。
箸より重いものは持ったことがない井上が調べました。箸にも棒にもかからないとも、よく褒められています?。
     

 川越蔵づくりの町並みの中に、箸専門のショップがあります。広い店内に「箸の美術館」といえそうなほど、老若男女あらゆる人、用途別に鮮やかにディスプレイされ、川越観光の目玉の一つになっています。
 暖簾は軒下と、太閤幕で、化繊の麻素材を黒紺で染めました。

手作り箸工房 きっちん遊膳

埼玉県川越市幸町5-4

 

049-299-7231

 

時の鐘マン(半纏)

!cid_17BA5277-1116-404C-9063-687DAEB12DE9.jpg!cid_F5A5E269-325F-4E06-80D8-007B2B3C2902.jpg          20数年前に所属していた川越青年会議所にいた時に作った半纏を、久々に目にしました。5度程追加して染めましたが、まだまだ現役で今の会員が着ていると嬉しくなります。もちろんまた追加していただければなを嬉しいですけれど。

 「時の鐘マン」という川越市を代表する?キャラクター。市内のイベントで度々目にする機会が増えました。この時は何のシーンかというと。

皆様こんばんは!

本日は、時の鐘マンLINEクリエータズスタンプのデザイン表彰式を埼玉県立川越工業高等学校にて行わせて頂いたぞ!

川越工業高等学校デザイン科の皆様を含め多くの皆様より素晴らしいデザイン案を頂いたおかげで、良いスタンプを完成することが出来たのだ。

本当に感謝だぞ! 

明日、J:COM様より取材頂いた模様が放送予定だぞ!
是非ご覧ください。

時の鐘マンLINEクリエーターズスタンプを通して、人びとの架け橋の機会が創られ、人びとの繋がりを促進し、まちのキャラクターや川越そしてまちづくりを意識できるデザインのスタンプを通して、その意識を高めることを目的とし販売致します。さらに、人びとの川越に対する愛着をさらに深めて頂き、長期的には、躍動する川越を創造することに繋げたいと考えております。

常盤神輿會(半纏)

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 常盤神輿會はさいたま市浦和区常盤の八雲神社を氏神とする氏子の神輿愛好会で、例大祭の際には大神輿を担いで渡御します。
 平成28年2月13日に浦和ワシントンホテルにおいて盛大な新年会が開催されました。

平成28年度より常盤神輿會四代目會長に就任致しました田中恵一です。
当會は平成6年に発會し今年で22年目を迎えました。
発會当初神輿の担ぎ手は150名足らずでしたが、現在では300名程にまで増え、 毎年7月の八雲神社例大祭を盛り上げております。
また、地域の同好会の方々との交流もあり、亀有西三睦・猿若町・北浦和西口・東口 さんの神輿渡御にも参加しております。 今後は、現場の意見を聞きながら私なりの考えで常盤神輿會の発展のために全力を注いでまいりますので、皆様方におかれましては、今まで以上のご尽力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
                             平成28年2月吉日
                             常盤神輿會 四代目會長 田中恵一

卒寿の風呂敷

  風呂敷紗綾形.jpg 紗綾形(さやがた)という文字から文様が浮かばなくても、この形は必ず目にしていると思います。「遠山の金さん」「大岡越前」など時代劇ドラマではバックの襖、武家の着物などでもお馴染みです。

この形をよく見ると、長く伸びた卍が繋がっています。卍は古代インドでヒンズー教の太陽神のシンボルや、仏教では釈迦の体に現れる吉祥の形とされ、功徳円満を表す意味として仏像の胸に描かれました。

卍が中国に伝わると万の字が当てられました。長く伸ばした卍であることから「長脚万字」、富貴が途絶えない「富貴不断頭」とされ、不断長久の吉祥文様として尊ばれたのです。

では、なぜ私達は紗綾形と呼んできたのでしょうか。それは江戸時代初期に中国から輸入された織物の多くに、紗地に綾組織で卍繋ぎが織られていたことに由来しています。

紗綾形はその後、婚礼をはじめ特に女性の慶事礼装の代表的な文様として定着しました。現代でも着物の白生地に最も多い地紋といわれ、紗綾形に四君子(梅竹蘭菊)の蘭と菊を配したものは格が高いとされています。
 この風呂敷はお父上の卒寿のお祝いにご注文いただいたもので、約90cm四方(二四幅)のシャンタンという生地で染めました。左下のマークはは「結び蔦」という紋で、初めて見ました。
 地紋も家紋もいかにも縁起の良さそうな風呂敷ですね。お祝いの引き出物にピッタリです。

あられ柄の手拭い(細淵組)

 


手拭い あられ柄.jpg 「霰(あられ)」とは、空から舞い落ちる、細かい氷の粒のこと。 気温が0度近くなり、雪が氷に変わり「霰(あられ)」となります。

 雨と雪が交じって降る重みのある「霙(みぞれ)」や、粒の大きな「雹(ひょう)」と違って、細かくパラパラと美しく空を舞い、かすかな音をたてて地面に飛び跳ねるのが「霰(あられ)」。「大小あられ」文様は、江戸時代の薩摩島津藩の定め柄でした。 昨年の大河ドラマ「篤姫」で、高橋英樹さん演じる島津斉彬や、瑛太さん演じる小松帯刀が江戸城に上がり将軍様にお目通りを許された際に身にまとっていた「裃(かみしも)」の柄が「大小あられ」文様でした。 「大小あられ」は、江戸小紋の文様の中でも人気の高い文様のひとつです。

 「鮫(さめ)」「行儀(ぎょうぎ)」「通し(とおし)」の江戸小紋三役に、「縞(万筋)」「大小あられ」を加えて江戸小紋五役といいます。 三役、五役の文様は紋を入れることで略礼装とすることができる「格」のある文様です。
 岸町(喜志町)の細淵組様の手拭いは、この大小あられ柄に木札をあしらった粋なデザインです。

 

 

COEDOブルワリー香港島(のれん)

!cid_BE768E97-CC1A-4002-9290-8D2831A6EB96.jpg お得意様の協同商事様が香港島にタップルームを出店されました。1月17日現地のお店に訪問してきました。以前大丸百貨店があった辺りでファッションウオークと呼ばれる、海が近くておしゃれな若者ばかりの代官山ような場所でした。海外で弊社の染めたの暖簾がかかっている風景は又格別の感慨です。サイズは1800*140cm、白の帆布に黒紋です。川越発のCOEDOビールが世界中で飲まれるよう期待します。
 以下香港経済新聞より抜粋です。
 川越を代表するクラフトブルワリー「コエドブルワリー」(埼玉県川越市)は8月19日、銅鑼湾のファッションウオーク(Shop C, G/F, Towning Mansion, 50-56 Paterson Street, Fashion Walk, Causeway Bay TEL 2619 9011)に海外初のビールバー「COEDO Taproom(コエドタップルーム)」をオープンした。

 欧米のクラフトビール文化はアジアにも波及し、最近は香港でもクラフトビールフェスティバルが開催されるなど、盛り上がりを見せる中、「ゆったりとクラフトビールを楽しんでもらいたい」とオープンした同店。路面店として外のオープンスペースに24席、店内に48席を配置する同店は、ちょうちんなどをあしらいながら日本文化を感じさせつつも黒を基調としたシャープな印象で、入り口を入ると12本のタップが並び、たる生のクラフトビールを楽しむことができる。

永源寺のだるま市(のぼり)

 ND6_1017.jpg   1月10日、坂戸の永源寺で、新春恒例の「だるま市」が開催されました。このだるま市は30年以上の歴史があり、毎年多くの人でにぎわいます。だるまは、開運、家内安全、商売繁盛などの願いをかける縁起物として古くから親しまれています。 当日は、厄除け、合格祈願等のご祈祷も行われるほか、各種露店も出店され大変な賑わいを見せます。

 最近は赤いだるまだけでなく、金、白、緑、黄など風水にこだわっただるまも多くなりました。しかし売れ筋は高さ30cm程の2000から3000円のクラシックな赤だるまだそうです。
 のぼりは幅100cm、長さ450cmと大きなものなのですが、背景の伽藍が巨大なので小さく見えます。

出初式(若鳶会)半纏

h1162-04b.jpg    川越地区消防組合の「消防出初式」が1月10日、川越市役所駐車場で開かれ、川越鳶組合が緊張感あふれるはしご乗りを見せました。昨年末に作った真竹製のはしごは、高さ640cm。時折しなり、風が吹くといっそう不安定になるはしごの乗り手は、45歳くらいまでの組合員で作る「若鳶会」から選抜した。 この日は5人の乗り手が登場し、「爪掛二本八艘」や「達磨遠見」といった華麗な伝統芸を次々と披露。最後は3人の乗り手が競演して締めくくった。
 出初式とは新年初めの消防訓練であり、一番おの見せ場である、はしご乗りは消防署員ではなく鳶職人がやるんですね。鳶職人の減少で後継者の確保が課題になっているようです。写真は花紀行様よりお借りしました。

moritaenn.jpgsanntomi.jpg     三富新田について

 三富新田(さんとめしんでん※)とは、江戸時代の元禄期(1668~1704年)に、武蔵川越藩が武蔵野台地に開いた三新田(上富新田、中富新田、下富新田)の総称す。                 ※三富は、地域によって「さんとめ」「さんとみ」と呼ばれています。

三富新田の歴史 

 元禄7年(1694)、川越城主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は家臣・曽根権太夫(そねごんだゆう)に命じて、現在の埼玉県所沢市中富(なかとみ)・下富(しもとみ)、入間郡三芳町上富(かみとめ)の3地区を広大な畑地として開拓しました。元禄9年にこれが完成し、上富村148戸、中富村48戸、下富村50戸の合計246戸の村落ができました。三富新田は、1962年に旧跡として埼玉県指定文化財に指定されました。

整然と区画された地割

 地割は、幅40間(約72メートル)、奥行375間(約682メートル)の短冊形に区画され、一軒分の所持面積は5町(約49,500平方メートル)でした。これを道路沿いから屋敷・耕地・山林の順に仕切りました。さらに1戸ごとに耕作道を設け、そのあぜにはお茶の木や「うつぎ」を植えて境界とし、整然とした地割をつくりあげました。

 このイラストは7年前お役所の注文で作ったのぼりです。その当時こういう農家があるのをはじめて知りましたが、今ではカーナヴィで見ると細長い地割が短冊のように配置されている事が良くわかります。この農地で森の落葉で堆肥が出来て、農作物が実る循環型、エコサイクルな自給自足農業が完結するとのことです。
 中富の鷹の羽森田園はこの地域にあるお茶屋さんで、巾30m奥行き1300mという縦長の広大な敷地にあります。周りの家も同じような間口で、道路側からは建物、家屋しか見えないので、奥がどれほど深いのか窺い知れません。この度店舗を改築し、今まで以上においしいお茶を作って販売しています。

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