桶川市川田谷 諏訪神社(神社幟)

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IMG_0959.jpg 川田谷諏訪神社の創建年代などは不詳ながら、天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、石戸領の総鎮守だったといいます。明治6年村社に列格、明治40年雷電社を合祀、明治42年神饌幣帛料供進神社に指定されています。祭神は建御名方名(タケミナカタノカミ)。大祭は8月26日27日。住所は 桶川市川田谷6710。
 この度令和御大典を記念して大祭幟を新調(再調)ご注文をいただきました。
何と書いてあるのか、読むのか判らず、諏訪神社を代々守る高柳家の高栁圭宮司に教えていただきました。

鴻恩福正直(こうおん、せいちょくをふくす)、大きな恩恵は、正しいもの(幸せ)をもたらす。
赫威誅横邪(かくい、おうじゃをちゅうす)、正しくはっきりした方は、よこしまな(悪い)ものを成敗する。
最初の幟を書かれた方は江戸生まれの書家 西川春洞 揮毫は丙午=明治39年(1906年)
再調 令和元年己亥歳八月吉日
生地は帆布 幅110cm 丈10m50cm

 

桶川剣友会(団旗)

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 桶川剣友会は埼玉県中央に位置する桶川市に昭和48年に発足しました。

その1年前に桶川内の一地区に桶川剣友会前身の川田谷剣友会が発足したのがきっかけです。
 当時の先生が地元の小学校長に講堂の借用願に指導方針として明記したものが、信条として現在も引き継がれており、
これを毎年4月の入門式に新規入門者に「誓いの言葉」として渡しています。
内容はシンプルで子供達にも分かり易く、この信条に述べられている事が人間形成への基本だと考えています。

一、 礼儀を正しくします。
一、 明るい元気な人になります。
一  何事もやりぬく根性を持ちます。

 桶川剣友会は毎週のように関東各地へ試合や錬成会へ出かけます。その際に剣友会の顔である『大団旗』を会場へ掲げます。
 この度、団旗を新調し、剣道の聖地、日本武道館の試合会場でお披露目されました。
 右が新、左が旧団旗。
 初代会長直筆の『錬心体』の文字は、1割ほど大きくし、色は年月とともに少しづつ薄くなるので濃いめに染めました。生地は十番天竺、サイズは260*175cm。

本村正面.jpg本村 背.jpg本村山車.jpgkamikiyoku03.jpg   7月14日 日曜日に行われた上清久八坂神社のお祭りです。生憎の梅雨空でした。

 9:00~14:00 夜19:00 ~22:00

 祭当日は朝が早いです。朝一番に子供達がお獅子をかぶり家々を巡り無病息災を祈願します。

 家の入り口にさしかかると『あーらーらー』と大きな声と共に入ります。 現在は玄関でお払いをするのが多いですが、少し前までは、家の中まで土足のまま上がり家の中一回りしていました。
 山車の曳き回しは、9時頃から人形山車で始まり、天王様(車輪の付いた御輿)を先頭に各神社を回り最後に八坂神社に集まります。最後に手打ちを行い14:00頃に神社に戻ります。
 これで昼の部は終了します。休憩をとった後、今度は夜の部の準備をします。
 人形、幕、彫り物を外し山車本体だけにしてから提灯山車を組立します。 18:30頃から再び曳き回しが始まり上清久交差点に3台の山車が集まります。
 3台の山車が集まると祭は最高潮になり山車同士がぶつかり合いをします。この祭は別名けんか祭とも呼ばれ、山車同士の競い合いします。
 21:30頃に手打ちをして3台は別れ各神社に戻り22:00に終了します


新久囃子保存会(座布団)

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araku 山車.jpg    令和元年7月20日(土)・21日(日)に埼玉県入間市新久で『新久の天王様(八坂神社例大祭)』が執り行われました。
 今年は山車を改装して、この日にお披露目されました。
山車(屋台)は唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車で4つ車。前輪は突き出した木鼻に付けられています。他にヤグラと呼ばれる車輪付きの小さな屋台もあります。

 山車の上では入間市指定無形民俗文化財の新久はやし保存会が神田囃子隠岐流の祭囃子を奏でます。
 新久ばやしは、江戸文化が発達するにしたがって、江戸との交流が盛んになり、商人や職人などが往き来するうちに習い覚えて伝えられたといわれています。毎年7月に新久の天王様を飾る笛や太鼓の音は、聴く者の心をとらえて離さないと言われています。岡目や火男に足踊りを加えた、多彩かつ特異な踊りの芸は、日本の数多い...郷土芸能の中でも珍しいものとされ、多くの人を魅了してやみません。
 今年は、座布団のご注文をいただきました。54cm*54cm 綿紬 紫白抜き 中身は綿です。
 
 

大宮の二ツ宮神社(手拭)

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    二ツ宮神社は埼玉県さいたま市西区(大宮)の荒川堤防沿の田園地帯にあります。
 二ッ宮村の村名の由来は、氷川神社と八幡神社の二社が並び鎮座しているところから名付けられたといいます。
 社殿はもちろん、鳥居も二つ、狛犬もそれぞれに一対づつ。向かって左側は氷川神社、右は八幡宮です。
 氷川神社も御祭神は須佐之男命で、四月十四日の春祭りにはお神楽を奉納、七月十四日の夏祭りには神輿の御渡や山車の曵き廻しが行われ、村一番の賑わいを見せます。
 八幡神社の御祭神は応仁天皇、脇祭神として神宮皇后を祀っています。九月十五日は例祭で奉納相撲があります。現在は子供相撲大会、月見踊り等が行われますが、明治の終わり頃には島渡川という力士がでて、イギリスからの招待を受け遠征したほどですので、盛大な祭りであったようです。
 境内には三峰神社、御嶽神社、天神社、第六天社、牛頭天王社、阿夫利神社、笠間稲荷社が合祀されています。また神社の東側には児童公園とゲートボール場が整備され、四季を通じて利用されています

東芝合気道部(風呂敷)

20180907_1125292.jpgIMG_0712.jpg        合気道は、開祖植芝盛平翁(1883~1969 )が日本伝統の武術の奥義を究め、さらに厳しい精神的修行を経て創始した現代武道です。合気道は相手といたずらに力で争いません。入身と転換の体捌きから生まれる技によって、お互いに切磋琢磨し合って稽古を積み重ね、心身の錬成を図るのを目的としています。
 合気道は他人と優劣を競うことをしないため、試合を行ないません。お互いを尊重するという姿勢を貫く合気道はいのちの大切さが訴えられる現代に相応しい武道といえるでしょう。

   東芝合気道部は、平成11年4月21日(道場開き6月23日)に当時JR川崎駅近くの東芝堀川町体育館にて初稽古を開始してから、本部道場森師範のご指導のもと、東芝大井町体育館、伊藤学園、東芝小向体育館武道場で稽古を続け、今年で20周年を迎えました。

 風呂敷は 東芝合気道部創立20周年を記念して染めました。
 植芝守央(うえしばもりてる)道主の揮毫です。約90cm四方、生地はシャンタン、紺地白抜きです。

牛若 2.jpg    牛若2019.jpg   川越市元町一丁目の山車には屋根に牛若丸の人形が載っていることから「牛若丸の山車」と言われます。お囃子は牛若囃子連によって演奏されます。

牛若囃子連は昭和45年「元一囃子会」として発足

囃子を川島村(現川島町)飯島囃子連より教わる。
同年10月、名称を「牛若囃子連」と町内会より命名される。

主な年間スケジュール】

元旦 寿獅子にて町内回り
5月4/5日 町内稲荷神社祭礼にて山車の展示と居囃子
7月第4土/日曜日 東松山祇園祭 本町中央の屋台にて、囃子方として参加
7月下旬 川越百万灯祭り
10月第3土曜/日曜 川越まつりに参加します。

今回もまた 牛若丸からイメージされる遊びを夏秋冬に散りばめた、牛若囃子連黒川会長の奥様がデザインされました絵を基に手拭を染めました。手拭として使うのが惜しくなるような郷愁を誘うアート作品です。  

特岡 35*100cm  生地は特岡 令和元年 2019・5・4 

賀美町囃子連(半纏)

賀美町下書き.jpgIMG_0580.jpg写真賀美町.jpgIMG_0599.jpg     埼玉県入間市の大きな祭りとして扇町屋の「お燈籠様」と「入間万燈まつり」があります。「お燈籠様」は昔からある祭りで「入間万燈まつり」は囃子の他に創作太鼓やバンド演奏なども行われる市民祭りです。
 平成時代最後の愛宕神社のおとうろう様祭りは31年4月27,28日に行われました。
  賀美町囃子の流派は神田囃子隠岐流。
 山車(屋台)は2台あり、大きい方は戦後からある山車の台車部分を利用し昭和58年に新調されたもの。小さい方は平成2年に新調されたものらしい。こちらはゴム製のタイヤが特徴。どちらも同市の宮大工、田代甲平氏の作です。
 
 賀美町(かみちょう)囃子連様より半纏のご注文をいただきました。半纏を作るのにあたり、しっかりとしたイメージ(イラスト)があり、数度の打ち合わせを行い、元絵を描かれた作者様の熱意が確と製品に伝われば幸いです。
 昭和3年結成とのこと。新しい半纏が、囃子連とともに末永く受け継がれていくようお祈りいたします。

藤間囃子保存会(半纏)

IMG_0640.jpgIMG_0646.jpgIMG_0624.jpgIMG_0650.jpg          藤間地区は、川越南部に位置し、この地は舞踊界に堂々たる一派をなす藤間流を創流した初代 藤間勘兵衛の出生地としても有名です。この地には、明治初期に川越市寺尾より囃子が伝授され、大正初期には今福からも囃子を習ったと言われています。
 
  川越市内では今福囃子連中が本家となり各地域に広がりその中で日本舞踊藤間流で 有名な藤間地区の藤間囃子保存会には明治中期に寺尾地区より囃子が伝わりました。 藤間囃子保存会の囃子の演目は屋台に始まり屋台に終わるといわれています。 
 藤間囃子保存会は、川越まつりでは昭和43年より現在に至るまで、喜多町 秀郷の山車に乗り、お囃子を演じています。一時期は、川越まつりにおいて、喜多町以外に末広町、松江町一丁目、計3町の囃子を引き受けるほどの大所帯でした。
 現在芝金杉流 藤間囃子を演じているのは、藤間囃子保存会を筆頭に、同一門下である末広町 住吉囃子連、松龍會囃子連の3団体となっています。2019・4・27

池辺 鎌足稲荷神社 (のぼり)

  DSC00935.jpgDSC00939.jpg 初午(はつうま)。牛ではなく、午(馬)です。初午とは2月最初の午の日を言います。午は十二支の一つで、その昔、日付は数字でなく、十二支を使って表現されていました。

 2019年の初午は2月2日(土)になります。初午は、711年に京都の伏見稲大社に祀られている、五穀を司る農業神の宇迦之御魂が初午の日に伊奈利山に降臨された日といわれています。
 降臨された日に初午祭が催され、稲荷伏見大社に「初午詣」をするようになり、その後農村では五穀豊穣を願う祭りとなり、街中では商家が商売繁盛を願う祭りを行なう日となりました。
 元々は春先の行事でしたが、新暦では最も寒い時期の行事になるため、川越池辺地区では3月10日の三の午の日に行われました。今日は風もなくとても暖かい日となりました。祭殿には稲荷寿司がたくさんお供えされていました。

池辺の鎌足稲荷神社では、約60年ぶりに、2019年は平成最後の年となる平成31年を記念して、幟に元号を記しました。  70cm*7m 11号帆布



最近流行っている言葉で、「い・な・り」の 3文字は、それぞれ「命・名・利」に通じることから、3つのいなり寿司を食べると良い、願いの数のいなり寿司を食べると良いということも言われます。

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