2018年7月アーカイブ
歴史の街川越、祭りごとが多い街、まつり好きな人々が多い街、古き良き時代と新しさがマッチした“わが街川越”を、もっともっとたくさんの人に知ってもらおうと、川越市の主催する行事はもちろん近隣の市町村の行事にと地域文化の向上、川越市の発展に少しでもお手伝いができればと、和太鼓を中心とした打楽器を演奏する団体を集めて活動したいと、立ち上げました。太鼓組は、団体を組織する連盟ではありません。ただ、まつりごとが好きな連中が集まり、川越市内の団体を中心に近隣の団体の皆様にイベント出演の案内をして楽しんでいただき、各団体及び当太鼓組の発展につながる事を目標に活動する会です。皆様には、面倒な会議への出席あるいは会費の徴収は一切ございません。また、ボランティア活動がほとんどの為、出演料もでない事の方が多いと思いますが是非、当会の趣旨をご理解いただき是非加盟して、いっしょに楽しみませんか。
6/20(月)本日、川越市役所に川合市長を訪ねチャリティー公演の収益を義援金として被災地に届けていただけるようお願いをしてきました。
義援金合計:¥280,746円
内訳は募金箱の金額(¥78,331)にTシャツ等物品販売収益の一部と公演の収益を合わせた金額です。
たくさんの皆様にお越しいただきまして、ご協力をいただき誠にありがとうございました。
小江戸川越太鼓組
発足 2007年1月
会長 三木 勝司
事務所 川越市古市場428-5
TEL 049-2656453 FAX 049-230-1936
登録団体 15団体
暑さ日本一を更新した埼玉県で観光用の和風扇風機を提供。外国人観光客の暑さ対策にも最適!着物にもあう「小江戸川越ファン」は“水の気化熱”で体を冷やす次世代の扇風機
【埼玉県の “暑さ対策” を世界へ】
埼玉県では熊谷市が日本の最高気温をたびたび記録更新してきました。また、首都大学東京の調査によれば、同じ埼玉県にある川越市も典型的な夏日では熊谷市よりも気温が1~2度高くなるといわれることから、埼玉県川越市は日本を代表する “暑い地域” であるといえます。
川越市は毎年6百万人以上の観光客が訪れる人気の観光地で、訪日外国人の観光客も年々増加しています。特に、川越の中心部にある伝統的な蔵造りの古い街並みは「小江戸」という愛称で親しまれ、着物をレンタルして日中に散策を楽しむ観光客も多くいます。このため、観光客の暑さ対策が大きな課題でした。
そこで川越市に拠点を置く熱中症対策研究所では、郷土のお土産としても人気の高い “手拭い” を使った和風の扇風機をデザインし、手拭いを水で濡らして風を当てたときの気化熱によって体を冷やすことができるように科学的な工夫を施した「次世代型の和風扇風機」に仕上げました。
この「小江戸川越ファン」を、今後は、埼玉県の “暑さ対策” から生まれた日本の文化の一つとして、全国の観光地や東京五輪、さらには、世界に向けて提供していきたいと考えています。
「熱中症対策研究所ホームページ」
【熱中症対策研究所について】
本社:〒350-1124 埼玉県川越市新宿町5-13-84
代表者:所長 豊田哲郎
設立:2017年1月1日
URL:https://cools.jp
お問い合わせ:https://cools.jp/contact
ふじみ野市には、大きな祭りが2つあります。旧大井町の〜おおい祭り〜と旧上福岡市の〜七夕まつり〜(8月4日(土)8月5日(日))の2つありますが、どちらもにぎやかな楽しいおまつりです。
22日に大井サティ(イオン)で第18回おおい祭りが開催されました。12時開会のオープニングを飾ったのは、昨年同様「大井みほの太鼓の会」です。
大井みほの太鼓の会
地元の祭りをきっかけに結成され、今年38年経ちます。
小学1年生から40代のメンバーまで楽しく練習に励んでます。
今回は井上染工場さんに法被をお願いし、ひとつ前のデザインを復活させました。
新しくもあり、懐かしいこの法被を着て出演していきます。
とのお言葉をいただきました。
田んぼと畑で起伏のない、また海のない埼玉県人からすると、太平洋に面した安房の国はとても遠い国に思えます。大漁旗の翻る漁船、漁港、快適な潮風、夏だ!海だ!ビーズだ!海は青いし、魚はうまいと勝手に羨ましがっています。山車の装飾はもちろん、手拭も波に千鳥と王道です。
今思いつきましたが、全国の山車の腰巻に波に千鳥の柄が多いのは、ひょっとして山車は船を現わしたものなのでしょうか?民俗学者の研究を待ちたいです。
国司神社は館山市沼の柏崎区の氏神で、平安時代中期頃に安房国の国司{こくし}として京の都から赴任した源親元{みなもとのちかもと}をお祀りした神社。親元は嘉保3年(1096年)から康和2年(1100年)の4年間国司を勤め、仏教の徳をもって国を治めた。任期を終えて京の都へ帰るとき、別れを惜しむ住民が出立を阻んだので、親元はやむなく着ていた直衣{のうし}の左袖を解いて与え、柏崎から船に乗ったといわれている。永久2年(1114年)に親元の死去を伝え聞いた人々は、その徳を慕って親元の居宅址に小祠を建て、遺品の片袖を祀ってこの神社が創建されたと伝えられている。
毎年8月1日・2日、南総里見八犬伝ゆかりの城下町館山で、神輿{みこし}・山車{だし}・曳舟{ひきふね}など総勢13基により館山神社を中心に祭礼が繰り広げられる。国司丸を引き出す国司神社では、船上に太鼓・鉦{かね}・鈴が積み込まれ、篠笛のお囃子{はやし}や民謡のメロディなどを歌い合わせて賑やかに舞い踊りが行われる。江戸時代から伝承される「御船唄{おふなうた}」は御座船唄ともいわれ、拝殿や御船の上で歌われる。江戸幕府の船手頭{ふなてがしら}支配の時代に端を発するものとされ、市内の祭礼で御船を曳く地区に伝えられている。また親元は国司大明神と呼ばれ、親元がこの地を離れた1月16日が国司神社の例祭日になっている。