ある日の読売新聞に、作家が推薦する作家、本のようなコーナーがあり、中でも気を惹かれたのが、須賀敦子のエッセイでした。1929年兵庫県生まれ、上智大学教授で1998年没とのことで、そんな古い作家の本に今出会うというのが読書の楽しみです。普通女流文学賞の候補にあがるようなもは、それなりの自負から来る、華やかなてらいもあるものが多いのだが、この人にはそのような見せびらかしもてらいもなく、それがまず快かった。こんな文章書けたらいいですね。
いま、鳴りわたる鐘が/祭日の来たことを告げる。
キリスト教の慣習では、祭日は前日の夕方からはじまることになっている。20数年前までは、大きな祝日の前日は断食するのが掟だった。一番星が出たら断食日が終わるので、貧しかった子供の頃、星の出るのを待ちわびた、と話してくれたのは南伊アブルッツォの山村で育った友人だった。断食の終わりを告げ、祝日の到来を告げて、教会の鐘は技を競って打ち鳴らされる。これも、ペルージャで勉強していたころのある土曜日の夕方、いやひょっとしたら、八月15日、聖母被昇天祭の前日のことだったかもしれない。友人お運転する車で、多分アッシジからの帰り道だったと思う。」ペルージャの丘の最後の登り坂の中腹にある教会にさしかかった瞬間に、その鐘は鳴りはじめた。いきなりだった。 思わず見上げたロマネスク様式の鐘楼に、私は本当に不思議な光景を見た。一人の男が、確かに両手と両足を使って、踊るような、まるで宙を泳ぐような格好で、夕日を一面に受けた鐘楼の大小さまざまな鐘の下の、横にわたした止まり木のようなものの上で動いていた。その姿を私が見たのは、たった一瞬のことにちがいなかったのだが、いまでも目をつぶると、あの男と、そのからだ全体から湧き出るような、寄せては返す波のように、幾重にも織り込まれ、また四方に向かってばらまかれる、あの祝日を告げる鐘の音が心に浮かぶ。暮れなずむ遠い平野を覆う薄紫のもやの色といっしょに。