2013年10月アーカイブ

出雲乃伊波比神社のお祭り

CIMG1955.jpgDD3_6155 ☆.jpg  埼玉県北西部、荒川流域に東武東上線の男衾駅というのがあります。ここの寄居町赤浜地区にある、小被神社または男衾(どちらも おぶすま)神社ともいわれる出雲乃伊波比(いずものいわひ)神社のお祭りが7月に盛大に開催されました。半纏は十番天竺という生地、着丈90cm、茶色に背紋は黒で赤濱と染めました。

 変わっているのは帯で、通常は生地を折って8cmくらいのいわゆる帯状にしたものを巻くのですが、赤濱では手拭を半分折りした様な3m*18cmくらいの太いものを締めます。
 

池辺鎌足稲荷神社の奉納幕

003.jpg                                            川越市西部池辺地区にある鎌足稲荷神社自治会様より奉納幕のご注文をいただきました。
川越水上公園の外周道路沿いに古びた社があったのは覚えていましたが、このお稲荷様がこんなに有名だったとは知りませんでした。お稲荷様といえば商売の神様といわれるくらいで、縁起の良い赤い鳥居で知られますが、神様の使いである白狐もつきものです。今では狐自体が神様としてあがめられています。
 しかし、キツネ蕎麦、稲荷寿司と呼ばれ、油揚げが付けば何でもキツネ○○になるのは何ででしょう?
ともかくつい最近までこの地味な鎌足稲荷は関東一円でパワースポットとして知られ参拝客が押し寄せたといわれています。詳しくは長沢利明様の「民俗学の散歩道」というブログに詳細に紹介されています。
 

 1885年建立というから本当に古びていましたが、2013年9月5日にすっかりリニューアルされて見違える様になりました。また今までの幕の紋は白麻生地製で宝珠が三つで三角形になる配置でしたが,今回は11号帆布の白生地に、焔玉といい、大きな玉の上に火焔が燃えている様な紋が一つづつです。社殿の正面が六メートル左右に1mづつ回り込み製作年月日と建設委員一同の名前が入りました。
 

 

謝罪の王様

558038_362359830537351_555193794_n.jpg  BSで「舞子はーん」を観たついでに、「謝罪の王様」行ってきました。脚本は大石静に匹敵するであろう宮藤官九郎。生まれながらの愛嬌のあるペットのような芸達者の阿部さだヲの映画にハズレはなく、アニメの動きを実写版で見せるかのような台詞と身体能力が今回も多いに笑わせます。どんなトラブルにも土下座で謝り倒してしまうのが、半沢直樹以来、社会現象の土下座ブームに更に火を注ぎそうです。
 始めから全開で飛ばすので「泣くもんか!」の時にも感じた、後半になってストーリーが間延びした風に思えるのが少々残念です。エンディングのEガールズとEXILEのダンスが、座頭市やインド映画のように流行ると楽しいです。それにしても毎回劇中でブリーフ一枚でのアクションが今になっても妙に頭から離れません。
 

川越祭 山車保有町内半纏

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  今年も10月19,20日の土日曜日に川越祭りが開催されました。今回旧市街の山車の出場は15基、宵山には一等地に陣取った各町内の山車に提灯が灯り、朝から延々と続く居囃子が切れ目無く演奏されお祭り気分が高まります。
 昨年の山車屋台祭礼交流会に続き、本年は山車保有町内協議会の半纏を作って頂きました。生地は綿紬、着丈95cm、納戸色という浅黄色より濃く、しかし紺より醒めた日本の伝統色です。背紋は「川越」と黒文字で入ります。

川越市池辺の熊野神社 幟と奉納幕

 
P1000730.jpg                                           P1000729.jpg                                             川越市西部の池辺熊野神社氏子会様で幟と奉納幕を作って頂きました.

 奉納幕は通常地が染まっているものは、富士絹という光沢のある紫の布に紋を二カ所と奉納という文字を染め抜きしていますが、今回は最近開発されたポリエステルの太シボ縮緬という、大きな凹凸(シボ)と絹以上に鮮やかな光沢のある生地で染めました。一度作れば何十年と使われるものなので、絹の弱点である虫に食われて穴があく心配と皺が目立たない、色が褪せないという長所があります。サイズは横720cm、縦140cmです。
 幟は河内木綿という柔道着のような厚い木綿生地に文字を染めます。強風に負けない様に「ち(耳)を片側25個付けます。昔の人は達筆ですね。古い幟をなぞって写しました。サイズは横90cm高さ10.5mです。
 

熊野神社解説は神社マニアのアレン様の受け売りです。                                 川越市に熊野神社は四つあります。池辺(いけのべ)という場所は、元々は池辺村という村でしたが、1889年(明治22年)4月1日 に大塚新田村、南大塚村、豊田本村、豊田新田、池辺村が合併して大田村が発足。
1943年(昭和18年)11月3日に大田村と日東村が合併し、大東村が発足し大田村は消滅。
その後1955年(昭和30年)4月1日に大東村は川越市に編入され現在に至っております。
この辺りは、入間川の右岸に位置し、開けた水田地帯です。
地名の池辺(いけのべ)は大きな池の傍らに開かれた事に由来するそうです。

 

寿町白山神社の幟

011.jpg008.jpg                                              本殿は、覆屋内にあり、直接間近でみることは出来ません。 社伝によると、武田信玄の家臣 山口長左衛門が祀った神社で、古くは喜多院の境内にありましたが、仙波東照宮の造営に伴いこの地に移されたそうです。

 川越市寿町白山神社氏子会様よりご注文いただきました。昔の幹線道路で二車線の国道16号旧道に面している為、幟が大きい為全容を見ることが難しいです。鎮守御祭禮と読むのでしょうか?古い幟をなぞって書き写しましたが、昔こんな達筆で大きな文字をどんな筆で書いたのでしょう。歩いている人と比較すると巨大さが判ります。
 生地は河内木綿という極厚の木綿地に黒い染料で染めました。巾100cm高さ11mです。ち(ミミ)は25個づつです。大抵の幟や奉納幕は最初に明治時代に作ったと思われますが、将来の記憶の為に最近は復元した年号を書く様にしています。
 奉納幕は木綿のバンテンという生地に左三つ巴紋が黒で染めています。

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