大日本帝国陸軍歩兵第21連隊は宇品港から出発し、1894年(明治27年)6月27日に朝鮮・仁川に上陸する。7月29日午前3時清国軍と成歓で対峙し、午前7時30分までの激戦によって清国軍を壊走させた。この戦いによって木口の属する第12中隊の中隊長松崎直臣大尉は戦死、松崎大尉は日清戦争の戦死者第一号という。この戦闘中に木口は突撃ラッパを吹いている最中に被弾。銃創により出血し倒れ、絶命した後も口にはラッパがあったという。
尋常小学校修身書より
キグチコヘイハ テキノ タマニ
アタリマシタガ、 シンデモ ラッパヲ
クチカラ ハナシマセンデシタ
私は学校で習った記憶もないし、周りで話になったこともありませんが突然今日思い出しました。多分子供のとき戦争に行ったことのある父から聞いたのだと思います。自分の息子が21歳で死んだら、軍神といわれても、全然うれしくも名誉でもないと思います。