柳崎氷川社 奉賛会(半纏)

 柳崎氷川社.jpg   柳崎氷川社は、川口市柳崎にある氷川社です。柳崎氷川社の創建年代は不詳ながら、当社の別当寺だった天台宗観音院が織田信長の比叡山焼き討ち(元亀2年1571)を逃れて当地に逃れ来たといい、また元禄年間に大谷口・井沼方・中尾・柳崎の四か村が一村より分村したということから、観音院が所蔵していた慶安2年(1649)銘の棟札が創建年前後ではないかと考えられます。明治6年(1873)村社に列格、明治41年(1908)には字後町の稲荷神社及び白山社、字西ヶ原の稲荷社を合祀しています。
 奉賛会は柳崎氷川神社の行事で一年を通し活動しています。
大晦日から新年のお焚き上げ、元朝祭 初午、新嘗祭、秋季大祭の準備など、宮司の業務を助け、地域の人々に知らせる広報活動や寄付金集めなどを行っています。
 昨年より揃いの半纏を着て活動するようになりました。
 綿紬 緑地 着丈100cm身幅65cm

かわはく なりきり船頭さん(半纏)

 埼玉県立川の博物館(かわはく)は、平成9(1997)年にオープンした、全国的に例のない河川系の総合博物館です。

 この度、館内常設イベントの船頭さん用半纏のご注文をいただきました。以下「かわはく」のホームページに掲載された文章です。

なりきり船頭さん 始めます。
かわはくの本館第1展示室は「荒川と人々のくらしとの関わり」をメインテーマとした展示室になっています。
ここでは実際に川のように水を流し、鉄砲堰や船車、荷船などの復元された模型があり、それらに乗るなど自由にふれることができるようになっています。

荒川の舟運は江戸時代に発達し、江戸と荒川流域の地方を結ぶ大動脈でした。
第1展示室にある「荷船」は、荒川が物流の中心であった明治時代に焦点をあて、荒川舟運の歴史と役割を紹介しています。

そんな「荷船」を漕いでいた❝船頭さん❞になりきって、写真が撮れるようになりました!
かわはく船頭になって、記念撮影をしてみませんか?
イベントが行われていなければ、自由に撮影することができます。
最高に恰好いい写真をたくさん撮ってくださいね!

★なりきり船頭さん
場所:第1展示室内 荷船のあるところ
随時受付(ただしイベントが行われている場合、お断りすることもあります。その時はイベントを見学してね!)

 壱番組.jpg    新川囃子の名は地元に流れる川、真鍋町と城北町の境の"新川"の名を取り新川囃子と称し、真鍋新町・新友組と並木町・なみき組と牛久市牛久町・壱番組、幸友組、道神組、新城組やそのほか多くの社中で構成されています。
  
 茨城県南部にあり、一寸変わった伝説が残っている牛久市。東京都内から50キロほどしかはなれていなく、ベッドタウン化しているが、周囲には緑も多く、独特の文化がのこっています。伝説の生き物である河童がいるいわれる牛久沼。その牛久沼の由来さえもが、牛食う沼からというのもおもしろいですね。そしてこの沼があるからこそ、市町村名に牛久が使われています。そんな牛久には伝説に関連するお祭りが残っています。

 
 うしくカッパ祭は、牛久市を代表する祭りです。牛久市には牛久沼の河童の伝承や昔話が残されています。また河童の絵を多く残した小川芋銭の育った場所としても有名です。牛久市民にとって古くから身近な存在だった河童にちなんで、祭りの名称に河童が付けられました。 

 この度、一番組様より半纏の新調をいただきました。夏の祭りということで生地は綿絽(めんろ)、色はどこからでも必ず見つかる明るい黄色(山吹色)、着丈は110cmです。
 

 

今成囃子連(半纏)

今成囃子連.jpg  今成は古くからある地名で、川越市街地の西部に位置しており、最近まで田園地帯でした。また、西に入間川が流れ、晴れた日には富士の勇姿や、秩父連山を臨むことができる自然環境に恵まれた地域です。中でも、夕焼けに染まる富士山のシルエットは見事なものです。
 また、背紋にある田面澤(たのもざわ)は、かつてこの地域一帯の村落の由緒ある呼称で、昔東武東上線の終着駅でもありました。
 小村井流の囃子は、戦前に現在の川越市久下戸から伝えられたものです。
 天狐は、今にも跳ねてゆきそうな、本物と見まごうばかりの仕草に加えて、メリハリを効かせた俊敏な動きに、神の使いとしての威厳を感じさせます。
半纏 綿紬 着丈100cm

入間鳶組合(手拭い)

入間若鳶.jpg  高所を軽やかに移動すり様を鳶(とんび)に見立てたという説もあれば、「鳶口(とびくち)」という道具に由来する、とも言われています。鳶口というのは、長さ1.5~2mほどの棒の先に、鉄製の穂先を付けた道具のこと。

 鳶職人はふだんから足場を組み上げる材木を、鳶口を使って引っ張りあげたり、鳶口で縛り縄を切って足場を解体していました。いわば鳶口は、鳶職人にとって、片腕とも呼べるなじみぶかい仕事道具であったのです。

 したがって火事のような有事の際には、おのずと相棒である鳶口を使い、消火活動を行い人命を守ったのでしょう。

 このように鳶口は鳶職人のトレードマークのようなもの。いつの間にか、名は体を表すかのように、「鳶職人」と呼ばれるようになったのです。

 最初に現場入りし、最後に現場を去ることから、「建設は鳶に始まり鳶に終わる」とも言われる大切な仕事。建築を、街並みを、そして風景をつくり上げる誇りと心意気は、今も変わらず受け継がれています。
 英語ではsteeplejackとか、最近ではスパイダーマンと呼ぶそうです。
手拭いは特岡という生地を紺で染めました。100cm

JAXA火星衛星探査計画(風呂敷)

MMX.jpg    火星衛星探査計画(MMX : Martian Moons eXploration)は、2026年度の探査機打上げを目指し、研究開発が行われています。
  火星は、フォボスとダイモスと呼ばれる2つの衛星を持っています。火星衛星の擬周回軌道(QSO: Quasi Satellite Orbit)に入り、火星衛星観測・サンプル採取を行います。観測と採取を終えた探査機は、サンプルを携えて地球に帰還するというシナリオを描き、検討を行っています。

  この研究開発によって、火星圏への往還技術や天体表面上での高度なサンプリング技術、さらには新探査地上局を使った最適な通信技術と、これからの惑星や衛星探査に必要とされる技術の向上も期待されます。

  また、火星衛星の起源や火星圏(火星、フォボス、ダイモス)の進化の過程を明らかにし、太陽系の惑星形成の謎を解く鍵を得ることができるかもしれません。
風呂敷 90*90cm 生地 シャンタン

志木市上町囃子連(半纏)

 志木市上町囃子連.jpg  埼玉県志木市(上町地区)で活動しているお囃子の団体です。敷島神社祭典(夏祭)、敷島神社元旦祭(隔年)に於いて活動しています。昭和44年発足宗岡宿組囃子連保存会より伝授。
 以下志木市上町囃子連様ブログより転載いたしました。

2024年7月13日
お祭り前最後の練習でした
ほぼ全員集まり楽しく練習出来たと思います
そして地元敷島神社のお祭りを前に「上町こども囃子」の新しい半纏が出来上がってきました!
今までの半纏は古いもので50年は使われて来た歴史あるものですが、さすがにくたびれて来たこともあり新調する事になりました。
デザインは今まで通り全体に濃紺と白の市松ですが、今回は大人と同じ背紋を取り入れました

阿波踊り 土筆連(半纏、浴衣)

土筆連.jpg    阿波おどりは、老若男女問わず幅広い年代の方に参加いただける芸事です。
 高円寺に拠点をおき活動している連(踊りグループ)は現在40連余りあり、その多くが、一般的な習い事と同様に、年間を通じて定期的に稽古を行っています。大きな公演や出演の前には、集中的に練習会を実施することもあります。
 土筆連は礼儀を重んじ、組織的にまとめられて子供も若者もルールを厳しくしつけられます。 そうしたうえで、それぞれの連が一丸となって切磋琢磨しつつ、技量の向上を図っています。
 
阿波踊りの踊りのグループを「(れん)」といいます。

 土筆連は 成人男女の連と、子供だけの連がありますが、中学生以上は成人チームに加入しているようです。

踊りの種類と衣裳はというと

男踊り(つくし連は男踊りです)

 半纏を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣をしりかげらに着て踊る浴衣踊りがあり、いづれも足袋をはいて踊ります。
 踊りの所作は大小さまざま、時に勇猛に。時には滑稽に踊る、基本的には素手だが、うちわや提灯などを使っていることもおおい。
 なを、この男踊りを女性の踊り手や少女が躍る場合もあります。

女踊り

 女物の浴衣に編み笠を深く被り、草履でなく下駄をはくのが特徴です。
艶ぽく上品に踊るのが良いとされます。
 一般の浴衣と異なり、襦袢、裾除け、手甲を付け黒繻子の半幅帯を、お太鼓のように結ぶことが多い。

鳴り物

 鉦・笛・三味線・締め太鼓・大太鼓 など

リズム

 阿波踊りは2拍子で、テンポは,早い連、遅い連と様々であり、これが連の個性を演出する重要な要素となります。
宗岡下組.jpg     令和6年7月13日、志木市下宗岡4丁目「氷川神社」で夏祭りが行われ、宗岡下組囃子連の演奏が奉納されました。
 下組囃子連は、明治初期に原型はありましたが、大正末期に大宮市遊馬出身の金子嶽吉の紹介で、大熊兼助、木下芳太郎、荒井市太郎らがこの地より伝授されました。
 下ノ宮氷川神社を拠点とし、宗岡五区、六区が中心であり、小学生、中学生が元気に活動している団体です。
 また、地元小学校で郷土の歴史、伝統芸能を題材に社会科授業の一環で講義を行うなど文化伝統の継承にも熱心に力を入れています。

 久喜市 志ん二と同じく生地は綿絽です。

久喜提灯まつり.jpg久喜提燈祭り「天王様」は、旧久喜町の鎮守である八雲神社の祭礼です。

天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で、桑をはじめ夏作物が全滅したことによる、生活苦、社会不安などを取り除くため、祭礼用の山車を曳き廻して豊作を祈願したのが始まりと伝えられ、240余年の歴史と伝統を誇る祭りです。

祭りは毎年7月12日から18日に行われます。7町内から7台の山車が繰り出され、昼間は、神話などから題材をとった人物の人形を山車の上に飾り立て、町内を曳き廻します。夜は、人形を取りはずし、山車の四面に約500個の提燈を飾りつけた、提燈山車に早変わりします。

この提燈山車は夏の夜を彩るイベントとして最大の見どころとなっています。町内の若い衆が、賑やかな笛や鉦・太鼓のお囃子にのせ、関東一と言われる山車を回転させたりして、市内を巡行する様はまさに圧巻です。

夜は、四面に提燈をつけた山車を曳き廻します。
午後8時すぎには、久喜駅西口ロータリーに、提燈山車が集合して、山車をぶつけあったり、回転したりします。久喜駅西口周辺は多くの見物客で賑わい、祭りにおける一番の見所となっています。

綿絽という夏向きの涼しい生地です。肩当、袖口裏などつけません。


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