むかしは「那古の七祭(ななまち)」として、那古地区の各々の神社で祭礼が行われていました。
やがて山車が作られようになると、同那古の東藤と柴崎が鶴谷八幡宮に山車をともない参拝するようになります。 その後大芝、浜、寺赤、宿が順次山車を製作し、この行事に参加します。
例年7月17・18日に行なわれる,那古地区の祭礼に出される寺赤組の山車です。通称江戸型とよばれる三層の山車で,人形を上げ下げできるようにして,二層に人形を納める工夫がされています。
地元の大工棟梁によって,明治32(1899)年につくられたものと考えられています。彫刻は初代後藤義光の山車彫刻の遣作と考えられ,「元北朝夷 後藤利兵衛 橘義光作 八十五翁」などの銘があります。建武中興の故事にそった後醍醐天皇と,忠臣たちの名場面をテーマにした35名以上の人物像は,その持ち物や表情が,はっきりと彫刻されています。
彫刻,大幕,そして人形など,『太平記』をテーマに,山車全体の構成が統一されています。また,人形を上げ下げする装置には,滑車が多く使われ,操り綱を使った古来の手法が残されています。
半纏 十番天竺 紺地白抜き