今や川越の玄関となっている東武東上線川越駅は、1914年の開通時には無く、翌年の1915年4月1日に川越西町駅として開業しています。私の親の代では西町駅といえば川越駅のことでした
旧市街にある昔の玄関口である川越市駅は、東上鉄道開通時に川越町駅として開業し、1922年12月1日の市制施行とともに現駅名に改名したようです。この駅周辺を代表する(六軒町)に昔から住んでいる人たちには通称「六軒町」駅と呼ばれていたようです。
六軒町という名の町は日本全国に多数あるようですが、川越市六軒町は町名の由来が調べても判りませんでした。ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。
さて、川越祭りの主役といば山車、旧市街では文化財級の山車をそれぞれの町会が所有しています。
公式サイトによりますと、六軒町の山車は二重鉾、三つ車、廻り舞台、唐破風付きの囃子台。旧十ヶ町以外で最初に作られた山車。明治21年(1888) 大工棟梁の印藤吉五郎作。彫刻は明治34年山田弥三郎の作。昭和36年廻り舞台に改造されたが、三つ車のまま廻り舞台にした唯一の山車。
人形は明治21年(1888)仲秀英作。面は能楽の一つ、式三番の黒式尉(こくしきじょう)と呼ばれる三番叟(さんばんそう)。
囃子は芝金杉流今福囃子連中で、埼玉県無形民俗文化財に指定されていて、六軒町の半纏、浴衣、手拭には三番叟にちなんだ松皮菱がデザインされています。では、その由来は?
今年の川越祭りは、久しぶりに好天に恵まれ、写真の写りも上々でした。半纏と浴衣は同じモチーフをを使用して一体感を表しています。