田んぼと畑で起伏のない、また海のない埼玉県人からすると、太平洋に面した安房の国はとても遠い国に思えます。大漁旗の翻る漁船、漁港、快適な潮風、夏だ!海だ!ビーズだ!海は青いし、魚はうまいと勝手に羨ましがっています。山車の装飾はもちろん、手拭も波に千鳥と王道です。
今思いつきましたが、全国の山車の腰巻に波に千鳥の柄が多いのは、ひょっとして山車は船を現わしたものなのでしょうか?民俗学者の研究を待ちたいです。
国司神社は館山市沼の柏崎区の氏神で、平安時代中期頃に安房国の国司{こくし}として京の都から赴任した源親元{みなもとのちかもと}をお祀りした神社。親元は嘉保3年(1096年)から康和2年(1100年)の4年間国司を勤め、仏教の徳をもって国を治めた。任期を終えて京の都へ帰るとき、別れを惜しむ住民が出立を阻んだので、親元はやむなく着ていた直衣{のうし}の左袖を解いて与え、柏崎から船に乗ったといわれている。永久2年(1114年)に親元の死去を伝え聞いた人々は、その徳を慕って親元の居宅址に小祠を建て、遺品の片袖を祀ってこの神社が創建されたと伝えられている。
毎年8月1日・2日、南総里見八犬伝ゆかりの城下町館山で、神輿{みこし}・山車{だし}・曳舟{ひきふね}など総勢13基により館山神社を中心に祭礼が繰り広げられる。国司丸を引き出す国司神社では、船上に太鼓・鉦{かね}・鈴が積み込まれ、篠笛のお囃子{はやし}や民謡のメロディなどを歌い合わせて賑やかに舞い踊りが行われる。江戸時代から伝承される「御船唄{おふなうた}」は御座船唄ともいわれ、拝殿や御船の上で歌われる。江戸幕府の船手頭{ふなてがしら}支配の時代に端を発するものとされ、市内の祭礼で御船を曳く地区に伝えられている。また親元は国司大明神と呼ばれ、親元がこの地を離れた1月16日が国司神社の例祭日になっている。